2021年5月27日木曜日

自己のミクロ的識別

 新型コロナウィルスと人間の闘いは、ミクロな世界における、物質的な自己と非自己の闘いである。体内に入ったウィルスは、本来、非自己と排除されなければならない。人間は、物理的に自己と非自己を識別する能力を免疫システムという形で保有している。自己と非自己の識別が適切に機能しなくなると、ウィルスの感染と発症が起こる。

2021年5月19日水曜日

正法眼蔵と正法眼蔵随聞記


 二つの本は、ともに講談社文庫のものを利用している。

昔学生の頃、このどちらかを持っていた。が、結局読まなかった。多分その頃読んでも引っかかるものは何もなかったからだと思う。難しそうだなで終わっていた。

しかし、今読むと引っ掛かりがたくさん出てきる。確かにどちらも、修行する僧のために書かれていると言ってもいい。とくに、随聞記の方は、そのようになっている。正法眼蔵の方は、道元自身が書いたので、法理に関わるものが多い。もちろん、修行の進め方に関するものはしっかり含まれている。なにしろ大小便の仕方、洗面の仕方がそれぞれ1巻全部に延々と書かれているところもあるのだから。

しかし、禅宗が、なにおおいても座禅が軸になっているので、法理の構造がわかりやすい面があるような気はする。

私の場合は、修行するような体も残っていないので、今更座禅をしてという気持ちにはならない。ただし、道元さんは、思った時に修行を始めなさいと強調しているが。

それと、講談社文庫の正法眼蔵は全部で7、8巻あった。そのうちのまず1巻を読んだ。いつもなら、この歳になると大人買いをする。全巻揃えて読み始めるのだが、今回はそうしなかった。なぜなら、この間、それで何度も失敗したからである。全巻揃えて、結局1巻も読み切らずに、読む気をなくすことが続いたから、まず、1巻からにしたのだ。一応最後まで目を通したので、昨日2巻を発注した。今日中に届くが、それまでの空いた時間で、気になったところをこのブログにあげておいた。まだまだ時間があるので、「有時の巻」について、今から動画を作ろうと思っている。10分で話切れるように、まとめなければならないが、適当にやる。

道元『正法眼蔵』、有時の巻、私にとっての有時(ある時)

 この間を読むと、道元が物理学的世界観を持っていたように思えてくる。

「いはゆる有時は、時すでにこれ有なり、有はみな時なり。」

時というものが存在していて、その時でみれば全ての現象は時によって存在しているとうことである。世界は時間という次元を持っていて、ある時間でその世界を切れば、世界の全てがその時間の中に存在していると私は解釈した。

「有草有象ともに時なり、時時の時に尽有尽界あるなり」

草など存在している物も、それらの現象もすべてときであり、その時々に全ての世界が存在しているというわけである。

もし、世界を、あるいは宇宙を4次元の中に存在している実態と観ずることができれば、難しい記述ではない。が、私たちは有るときの世界しか見ることができない。すなわち、4次元の世界をある時間で切り取った世界を見ることができるだけで有る。4次元を観じることは困難なのである。

「いはゆる、山をのぼり河をわたりし時にわれありき。われに時あるべし、われすでにあり、時さるべからず」

つまり、4次元で見ていると、ある時に、山に登っている自分、川を登っている自分は、時が過ぎて消えてしまったわけではなく、その時の自分として確かに存在しているということである。

「時もし去来の相にあらずば、上山の時は有時の而今なり。時もし去来の相を保任せば、われに有時の而今がある、これ有時なり」

時というのが過ぎゆくものであろうがなかろうが、ある時に山を登っていた自分にとって、そのある時は今なのだ、というわけである。過去の時は過ぎ去ったものではない、現に存在しているという、4次元的世界観が確固たるものとして語られている。

「要をとりていはく、尽界にあらゆる尽有は、つらなりながら時時なり。有時なるによりて吾有時なり。」

その4次元的ある時は、「私の有時」だというわけである。(訳の増谷氏によると「主体的時間」)。普遍的ある時ではなく、個性的なある時なので有る。ちょっと離れてしまうが、相対論的に同時性というのが難しいという話をふと思い出してしまう。

現に山に登っていた私、河を渡っていた私にとって、その時はある時なのである。そうなると、世界は時のほかに、さらにもう一次元持っていることになる。つまり、誰にとっての「ある時」なのかという次元で有る。5次元の世界なのである。

「山も時なり、海も時なり。時にあらざれば山海あるべからず、山海の而今に時あらずとすべからず。時もし壊すれば、山海も壊す、時もし不壊なれば山海も不壊なり。」

山や海も永遠普遍のものとしてそこに存在しているわけではない。変わらないかのようでありながら、永遠の存在ではないのだ。やはり時の中に存在していて、時がくれば山も失われ、海も失われる。さらに、時がなくなれば山や海も壊れてしまう。時間という次元が指定されないところで、山や海は存在を確保できないと、私は解釈した。

これらの規定を、道元は悟りへの道の問題として語っているように思えるが、私は死生観として捉えておきたい。人はある時において確かに存在している。その事実は、人が経年的時間の変化の中で死んでしまったとしても、ある時にその人は確かに生きているのである。われわれの視野の狭い、今という限られた時間に拘束された存在だから、死が消滅のように見えるだけである。人は死してもなおこの4次元的世界の中で存在している。私たちには確かなものとして観想、あるいは体験できないだけである。それは物理的事実、宇宙的事実なのである。


道元『正法眼蔵』、現成公案の巻、「なる」ということ

「生も一時のくらゐなり、死も一時のくらゐなり。たとへば冬と春とのごとし。冬の春となるとはおもはず、春の夏となるとはいわぬなり」

「くらゐなり」とは「ありよう」と訳されている(以下訳は全て講談社文庫のものに依存している)。頭の死と生に関しての言葉は、後半の冬と春の例えから類推できる。冬が春になったとは誰も思わない。それはうつろう現象の違いに過ぎない。より本質的なものが冬と春との共通なものとして存在し、それが時間的に移ろっているだけだと誰もが思う。それは季節という言葉で簡略に表現できるが、そう単純なものではない。

生と死も同じものだと道元は言う。生が死に変わったのではない。死は死であり生は生である。この前の文章で、死と生がそれぞれ閉じたものだと、薪と灰を例にして語られている。死は生には変わらないと。しかし、生と死は、連続的なものであることは誰でも理解できる。ということは、その間に変わらぬ何かが存在しているのである。

私が大事であると思えることは、生と死の間に、連続的な本質が存在するとするならば、死とは無ではないということである。そこには、生と共通の何かが存在しているのである。私たちが死というものの中には、客観的な実在があるのだ。その生と死を貫く実在こそ、私たちが注目すべきことなのである。 

道元『正法眼蔵』、現成公案の巻、自己と他己

「仏道をならうというは、自己をならう也。自己をならうというは、自己をわするるなり。自己を忘るるというは、万法に証せらるるなり。万法に証せらるるというは、自己の心身および他己の心身をして脱落しむるなり」

道元の思想の中でも最も大事な言葉の一つだろう。

私は特に「他己の心身をして脱落しむる」という言葉が気になる。自己以外のものとしての他者の中にある自分をも脱落させるということだ。自己へのこだわり、あるいは自我、自意識を脱落するというのは、それだけでも極めて困難なことだと思うが、なんとなくイメージはできる。確かに、それが悟りになっていくかもしれないとは思う。しかし、他者の中にある自己を捨てるというのは、たとえ自己が死んだとしてもできそうにない。

他者にとってもなんら存在感のない自己になるということだろうか。その他者が社会であれば、おそらく不可能だ。その他者は世界でもあり、さらに極端なところを見れば、宇宙でもある。そこから自らが存在しないかのように消し去ることなどできそうにない。そのできそうもないことをあえてすることが悟りということだろうか。

そうなると、私流に解釈して仕舞えば、自己を理解するというのは、そのままの自己だけでは理解できず、人間の存在は、自己と他己の二重化したものであり、道元のいう悟りとは二重化した存在としての人間を脱落させることだ。しかし、私にとってはそのような脱落というのはなんら人間理解の上で大切なことではなく、自己と他己の二重化した存在が、生まれ出ること、生によって二重化が洗練されていくこと、そしてまた、死によって完成させられるという事実が大事なことなのだ。

肉体と宇宙

 我々の肉体の構成原子は、その重量比で、ほとんどが恒星末期の超新星爆発によって宇宙に散らばったものからできている。炭素にしても酸素にしてもそうである。恒星が最初は水素の核融合でヘリウムを作り、その水素をほとんど使い尽くする今度はヘリウムの核融合が起こる。そうして、炭素や酸素も作られ、大きい恒星は、結局、鉄を作った段階で核融合が止まり超新星爆発に向かうというシナリオだ。それが宇宙に散らばると星間ガスになり、それが集まって恒星を中心としたシステムが作られ、そのように作られた惑星の一つが地球なのである。

したがって我々は恒星の成れの果て、恒星の爆破片からできているということになる。また我々が死ねば原子的存在に帰り、他の物質を構成したりしながら、結局はまた膨張した太陽に飲み込まれ、その屑となっていくのだろう。

我々は宇宙に漂い続ける物質の、吹き溜まりのようなものである。ただ、その吹き溜まりは宇宙的物質の存在という意味だけではなく、精神的作用を持っていて、この宇宙に秩序を作る力を持った存在でもある。そして、その吹き溜まり自身を認識する意識を持っている存在でもある。そうしてせっせと秩序を作り上げていく意思は、自己意識であり物質的存在に対峙するものとなる。その意味で人間は根源的に二重化した存在なのである。

2021年5月18日火曜日

「正法眼蔵随聞記」を読む(3)

 「正法眼蔵随聞記」で、最も印象に残ったのは、第5−2節だ。山崎氏の訳で引用させていただく。

「仏道を学ぶものが第一の心がけとすべきは、まず、我見を離れることである。我見を離れるというのは、この身に執着してはいけないということである。」

仏道を学んでいるわけではないが、まず、定義の問題である。ただ、こうくると、3−21にある「道を得るとは、まさしく体で持って得るのだ」というこれもまた印象深い言葉との関係が気になるが、まず、そこはここでは論じないでおこう。

「このからだは、すべてこれ、ことごとく、父の白い体液と母の赤い体液との二つの体液の雫から生まれたものにすぎず、最後の一息で生を終われば、四大は山谷に離散して泥土に帰してしまうものなのだ」

リアリティを感じる。

「なんの故に、この身に執着するのか。この身に執着する理由はあろうはずがないのだ」

論理は飛躍している。永遠ではないから執着の価値はないのか。人は永遠なものに絶対の価値を置かない。桜の花びらのように、ほんのひとときの輝きと儚さに美しさを感じるという面もある。ただ、もし自分を永遠なものにする意思があるものにとっては、この限られた肉体の価値は低いものになるだろう。それは、悟りという形で永遠を手に入れようとする僧にとっては、ほぼ、自明であるのだろうが。

「ましてや、理法によって、これを見れば六根(目耳鼻舌身意の六器官)・六境(色声香味触法)、六識(目耳鼻舌身意の六つの識作用)合わせて十八回の諸要素の離合集散に過ぎぬ。どこにわが身があるとするのか。どこにもありはせぬ。経典による教家の教えと経典による禅門の教えと区別があるにしても、わが身の始まり、その終わり、全て空なるものであって執着することのできぬものだということを、よくよく考えて、これを仏道修行の心得とする点では、全く同じなのだ」

意識も含まれていなかったら、たしかに、それは空に近いものと言えるかもしれない。

「正法眼蔵随聞記」を読む(2)

 この随聞記は、道元さんの一貫した思想を伝えていて読みやすく興味深い。といっても、ほとんど講談社学術文庫の山崎氏の訳文で見ているのだが。

色々書きたいことはあるが、すこし気になったところの一つに、6の23の中の次のところがある。

古人は言っている「貧しい人の家の前を、車に乗って通ってはならぬ」と。すなわち、自分は車に乗る身分であっても、貧しい人の前を車で通らぬように慎重にせよ、というのだ。

権力や富を持っても驕るなということである。この節のテーマなのだ。

しかし、結局、奢らないとしようとすることも、我執ではないか。これは富める人、権力のあるものからだけ見ているが、貧しいものにとってはどうだろう。自分の貧しい家の前を、華やかな車で通る人がいたら、それを妬むというのか。もし権力のある人富める人が、それを誇らずに、貧相に通り過ぎて行ったら、妬まないというのか。これはおかしい。貧しい人が富める人を妬むということが我執である。道元さんは、僧は貧しくなければならないと繰り返し語っている。その貧しさから、豊かな人間を妬むことは決してそうとしてあってはならないと考えているはずである。

豊かで権力のある人が、意図して貧しい人の前を貧相に通り、そうでないところを華やかに通るならば、それは我執を遥かに超えて、醜悪である。そういう人間を私は軽蔑する。どんな人の前を通ろうが同じであれば良い。

私は誰の前でも、権力あるものの前でも、無力な人の前でも、富める人の前でも貧しい人の前でも、素直な自分で、ありたいと思う。その素直な自分を、他の人がどう酷評しようがそれは構わない。また、他者に対しても、私に対して、驕ることも媚びることもなく、素直なその人を見せてほしいと思う。

自分に囚われない、我執を離れるとは、自分らしく振る舞うことが、全く自分へのこだわりからではなくなるということだと思う。まだ、私はそうできているわけではないが。

「正法眼蔵随聞記」を読む(1)

 正法眼蔵随聞記を読んだ。読んだというよりざっと全体を見たという方が正しい。

そのなかに、「百尺の竿頭に、さらに一歩を進めてみよ」という古人の言葉が何度か(知る限り三度)引用されている。私流に理解すれば、自我を捨てて大海に飛び込むように身を跳ばせば、悟りへの道が開けてくるということなのだ。

それはそれで道元さんらしい言葉なのだが、悟りへの道ではなくても、つまり、われわれのような凡俗の人生の中でも、何かを掴むために、もし跳び込めば、過去に得たもの全てを失うかもしれないけれども、それをやるということは、一度や二度はあるものだ。

道元さんの意図と違うところは、あえてそうするのは、自我を貫くためであることがしばしばであることだ。

2021年5月17日月曜日

完成としての死

 人間は、本来、普遍的あるいは宇宙的、さらには世界的また社会的な存在であり、同時に自意識ある主体的、したがってまた魂的な存在である。喜びもまた苦難も、この本源的な二重性が契機となっている。そうなると、死とは、この二重性が相互に独立した存在となることであり、そういう意味では、一つの完成であると言える。死によって完成する人間存在は、また、生の在り方に規定されている。完成した死の形を、人間存在の潜在能力を汲み尽くしたものにするために、その試された生を精一杯、生き抜かなければならない。

2021年5月12日水曜日

肉体と魂

 この歳になると、肉体というのは確かに頼り甲斐のないものになっている。ことに、私のように心筋梗塞と脳梗塞でほぼ死という状況に直面した人間にとっては、ひとしおだ。

日々、今日明日に死ぬかもしれないという思いを、わずかなものだが感じて生きているわけである。

だからこそ、魂というものを確かにしたいと思う。魂とは何かとは、いつか書いた気がするかもしれないから繰り返さない。

自分の魂に常に語りかけ、また、会話する。日々その繰り返しだ。

「三つ子の魂百まで」という言葉がある。確かにそうだ。魂もまた成長する。この年まで成長し続けている実感がある。魂も病気になることはあるのだろうが、まあ、今日まで、肉体のような瀕死の状況には直面しなかった。

魂が生きている証であり、また生きた証となるだろう。

私の肉体は死ねばすぐに朽ち、灰と煙になるだろうが、魂は、寺の梵鐘の音色のように、この世界にわずかな余韻を残すものとなるだろう。それでいい、それで十分だ。

2021年5月5日水曜日

「45歳」

 四十代になった頃だと思う。昔の友達らに「もし45歳をすぎても大学教授していたら、僕は、自分の人生を捨てたと思ってくれ」と言っていた。実際に大学教授を辞めたのは、46歳だから少しずれたことになるが、辞めたことは間違いない。

それは、20歳頃から溜め込んできた自分というものが、その頃には死ぬだろう、という思いと説明することができるのかもしれない。それは一つの精算だったと思う。綺麗に決着をつけたかったのだ。

十代の頃は、自分が40歳をすぎて生きていくのを想像できなかった。それとどこか共鳴するところがある。

では、45歳をすぎて生きてきた自分はなんなのか。それはもう一人の自分と言ってもいいくらいの、違う思いを抱えた自分だったのだろう、と今になって思う。

46歳で大学教授を辞めるときに、そのことに関連して、当時の新庄学部長に学部長室に呼び出されて、話をしたときに、私は「二度と大学の教壇には立ちません」と言った。結果的にそれは嘘ということになってしまった。1年の空白ののちに、私は豊橋創造大学にほぼ専任の教員として務めることになって、さらにその後上智大学教授になった。その大学教授としての姿は、虚構ではなく、それは確かに私自身だったことは間違いない。学生に中途半端な気持ちで接しことはなく精一杯自分の命を削って享受を続けたことは間違いない。研究でも、自分の考える最高レベルのものに挑戦していた。でもそれは、45歳までの自分ではない。もう一人の自分だ。

当然、松竹芸能の芸人になった自分も、そのもう一人の自分なのだ。

このサイトで、自分が45歳までにした仕事を整理しながら、それは夜明けを待ちながら闇の中で暗く輝く宝石のような気がした。今の私からは貧しすぎる自分がそこにはいた。若い心に芽生えた問題意識に、自分にとって最高のものを投入しながら応えようとしていた自分がいた。その業績は眩しかった。それは当然二人目にはできなかった。できなかったのは能力ではなく、若い自分が囚われた問題意識に対する、ほとばしる思いがそこにはなかったからなのだ。

45歳で自分は一度死んだのだ、と思うと合理的だ。

将軍と兵士

 歴史上には無数の戦争の記録がある。歴史の区切りは戦争に彩られていると言ってもいい。 そこでは将軍の下、無数の兵士が武器を持って戦い、そして死んでいった。記録に残る歴史には、兵士を死なせた将軍のことは書かれているが、死んでいった数えきれない兵士のことは、ほとんど書かれない。もちろ...