この歳になると、肉体というのは確かに頼り甲斐のないものになっている。ことに、私のように心筋梗塞と脳梗塞でほぼ死という状況に直面した人間にとっては、ひとしおだ。
日々、今日明日に死ぬかもしれないという思いを、わずかなものだが感じて生きているわけである。
だからこそ、魂というものを確かにしたいと思う。魂とは何かとは、いつか書いた気がするかもしれないから繰り返さない。
自分の魂に常に語りかけ、また、会話する。日々その繰り返しだ。
「三つ子の魂百まで」という言葉がある。確かにそうだ。魂もまた成長する。この年まで成長し続けている実感がある。魂も病気になることはあるのだろうが、まあ、今日まで、肉体のような瀕死の状況には直面しなかった。
魂が生きている証であり、また生きた証となるだろう。
私の肉体は死ねばすぐに朽ち、灰と煙になるだろうが、魂は、寺の梵鐘の音色のように、この世界にわずかな余韻を残すものとなるだろう。それでいい、それで十分だ。
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