2021年9月16日木曜日

後20年生きるとしたら

 確かに、20年も生きられない可能性は十分に高い。しかし、時間がどれほど残されているか、それを想定しながら人生を考えるのは必要だ。そして、もし、2。3年の残された時間を想定すれば、小さなターゲットに日々を使うことになり、何かしらそこには物足りなさが生まれざるを得ない。だから、その日々がある可能性が低くても20年くらいの想定は必要だと思えるのだ。

もちろん、その長さでは、努力半ばで終わる可能性も高い。しかしそれはそれで良いような気がする。

「嚶鳴寮の時代」とはなんであったのか

 神戸大学に赴任したのは40歳の時だから、31年前だ。その頃、昔、学生だった同じ時間を共有した嚶鳴寮生用にメーリングリストを立ち上げた。最近は30人ほどが登録していた。長年、運用と管理をしてきたが、それを一方的(全体の了解もなしにの意)に、今度閉鎖することにした。その時の通知文を...