鷲田豊明のブログ 2021年1月〜
確かに、20年も生きられない可能性は十分に高い。しかし、時間がどれほど残されているか、それを想定しながら人生を考えるのは必要だ。そして、もし、2。3年の残された時間を想定すれば、小さなターゲットに日々を使うことになり、何かしらそこには物足りなさが生まれざるを得ない。だから、その日々がある可能性が低くても20年くらいの想定は必要だと思えるのだ。
もちろん、その長さでは、努力半ばで終わる可能性も高い。しかしそれはそれで良いような気がする。
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