並列現象としての社会システム

 並列現象とは、多数の類的要素が相互関係をしているあり方である。社会は、まさにそうしたものである。並列現象は、本来は直列的思考になじまない。直列的思考とは、思考過程に手続き的論理が入るものであり、社会科学の多くは、経済学も含めて基本的にそのようなものである。というのも、人間の論理的思考そのものが直列的なものだからである。人間の脳の働きは、直列的なものだけではなく、論理を超えた直感的なものが支配的であることは忘れてはならない。

並列現象は並列構造を生み出す。並列構造とは、並列的現象を生み出す要素相互の働きの結果として、それぞれの要素の目的を超えた、全体的な何らかの秩序として生み出されたものである。秩序とは、人間の認識のための理解のプリミティブな枠組みに適合可能な、安定的な認識の枠組みである。

並列現象が構造をう満たすためには、現象の流動性を制約するものとしての環境が必要だと思える。

社会を並列現象として捉えたときに、その要素は、人であるかその行為である。人の行為としてみたときに、その基本的なものは、先に示した交換である。

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誇りについて

 誇りという言葉は、人をかりたて支えるものとなり得る。しかし、私がいつも意識する言葉ではない。というのも、この言葉は他者に対する意味が強すぎる。基本、「他者に誇る」のである。他者の存在抜きに、誇りが意味を成さないかといえば、必ずしもそうではないがそういう意味合いはない。