貧困は自由によってもたらされる。だからと言って自由に強い制約を加えることはできない。
貧困とは社会の中で個人の置かれた特殊な状態の一つである。社会の平均的な収入の水準よりも、かなり低下した所得にとどまっている状態である。かなり低下というのは、曖昧な表現であるが、さしあたって程度の問題は背けることができるだろう。
個人は、多くの場合、現状の支出水準でさらに大きな所得を得ようとする。産業活動の担い手である企業もまた、利潤を最大しようとする。そして、社会はその総所得(GDP)を最大にしようとする。資本主義経済、あるいは言い換えて市場経済では、個人や企業はその努力の仕方について、相当の自由が約束されている。社会の目的の実現は、これらの個別的努力に決定的に依存している。
しかしそれは、個人は個別企業のすべての努力が社会に受け入れられるということを意味してはいない。社会は、社会目的の最大化に貢献する個人や企業の努力は評価するが、そうでないものは無視したり排除してしまう。それによって社会目的の達成を図るのだ。どのような個別努力が社会にとって望ましいかは、簡単にはわからない。社会目的に沿わない企業や個人の努力は排除される。
この排除によって貧困は発生する。
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