2021年4月21日水曜日

線形再帰アルゴリズムのMNIST数字データのパフォーマンス

 この間、新しいアルゴリズムの改良をしてきたが、正解率の最大は93.36%にとどまる。すなわり、トレーニング後、それには使わなかったテストデータ10000個の数字について認識させると、664個の誤りが出るということだ。このままのアルゴリズムではこの辺りが限界のように思う。これ以上は、畳み込みニューラルネットワークのように、平行移動や歪みに強くなるような対応が必要だ。それを考えているが、その前にどのように誤っているのかを確認しようと思った。

以前、ディープラーニングでMnistデータを使った時に、およそ人間にも難しい文字が少なくなかったような記憶もある。

それで画像データとどのように間違ったかを示すパネルを表示させた。以下がその全てである。数字画像の下のテキストに、データ番号とどのデータを間違ったのかが示している。

読めていなければならない文字も少なからずあることがわかる。

 





2021年4月16日金曜日

再帰的線形学習アルゴリズム

ニューラルネットワーク型ディープラーニングの新しいアルゴリズムを創った。

これまでのレーヤー(層)に依存した方法では、リアルな脳の柔軟性には近づけない。シナプス結合はそんなシステマティックではないと思う。ニューロンの冗長性を活かしたアルゴリズムにした。

組み込んだ学習アルゴリズムは、バックプロパゲーション(誤差逆伝播)の精密さよりも、もっとシンプルで荒っぽい。脳のニューロンは精密な計算はしていないはずだから。

再帰的線形学習アルゴリズムとよぶことにした。(Linear Recursive Learning Algorithm)

階層なしで1000個ないしは2000個のニューロンで、Mnistの手書き数字認識をさせた。パフォーマンスはやや劣るが、単純な学習アルゴリズムで90%程度の正解は確保できる。自分的には合格だが、一般的には正解率は99%だ。もっと単純さを活かしたまま改良したい。

アリのニューロン数は、25万個らしい。このアルゴリズムで、7万個程度までは、自作のCore i9-9920XのLinuxマシンでもニューロンを増やせる。もう少し複雑なパターン認識にも挑戦させたい。

ある程度纏まったら論文にしたい。

2021年4月14日水曜日

最大呼吸仮説 Maximum Respiration Hypothesis

 今日何気にネットを探索していたら、1995年にオランダで出版されているEcological Modelingという生態学の雑誌に掲載した自分の論文(Ecosystem Configuration Consequent on the Maximum Respiration Hypothesis)が、30数件、引用・参照されていることがわかるページに突き当たった。私が全く知らない外国の研究者が、見ていることに、面白さを感じた。


最大呼吸仮説とは、生態系は、生態系全体で生産される呼吸排熱を最大化するように生態系の構造を構成しているという仮説だ。それはあたかも、生態系全体の統率者がいるように。あるいは、生態系全体の目的が組み込まれているように。

ふと自分の胸に「その仮説は今でも正しいと思うか?」と問うてみた。やはりそれは正しいという思いが自然に湧いてきた。

1998年には、Material Dissipative Conditions and the Impossibility of Complete Recycling"という論文を Structural Change and Economic Dynamicsという海外の雑誌に発表した。ここにも、未だ古くなっていない斬新な命題を示していた。これも、知らない海外の研究者に引用されている。

私にとって、研究者としての1990年台は、先の著作にもあるように新しい思考が溢れるように、生まれてきた時代だったのだと、振り返って思うのだ。しかし、私には、落胆する思いが拭い切れなかった。

2021年4月10日土曜日

80’から90’年代にかけての著作の公開

 80年代末から90年台にかけての以下の著作をpdfで公開した。

『環境と社会経済システム』

『エコロジーの経済理論』

『環境とエネルギーの経済分析』(学位論文)

『現代古典派経済学』

『極相社会』

最後の二つは未刊行のものだ。

公開した著作を見直してみると、基本的に「現代古典派経済学」をさらに突き詰めたもの言える。「極相社会」もある意味、その延長線上だ。

A4で1000ページを超えるのではないかと思う。

若い頃の自分に向きあった2週間だった。言葉と思考のみずみずしさが痛いほど伝わってきた。

これで一区切りついた。また、手元にある原稿を整理して公開する日が来るかと思う。それまでは、今、面白いと思っている研究に集中させていただこう。

人生の根

 ふと自分の根はどこにあるのだろうか、と考える。

寅さんの歌に「ドブに落ちても根のある奴は、いつかはハチスの花となる」という節がある。ハチス=蜂巣=蓮、ということらしい。

故郷の福井だろうか。確かにその郷里には根っこがある。小学校の頃、科学者に憧れ無線に憧れ、ラジオを分解して送信機を作ったりしていた。今に生きていることは間違いない。中学校になれば本に目覚めた。それからスポーツもやったがそれは根っこになっているようには思えない。高校では小説にハマった。どれも今の自分のルートの一つだ。

その故郷を18で離れてから、日本全国を転々とした。どこにも根を生やしたと思う。枯れた根もあっただろうが。大学を過ごした名古屋、いろいろな根を広げた。そこで学生運動に走らなかったら、マルクスにも出会わず経済学にも出会わず、間違いなく経済学の研究者にはならなかった。したがって、大学教授になることも100%なかったはずだ。学生時代は確かに根っこに違いない。

学生運動をやったから、のちに兵庫県知事選挙に出るなど、その学生時代の消し炭のようなものを燃やすことはなかっただろう。

知事選挙では市民運動の大勢の人たちの間に根を張った。新しい栄養を吸収できた。

豊橋に住んでいた時は、設楽ダムの反対運動をやり続けた。設楽ダムを考える市民の会を作り、ダムの建設現場に幾度も幾度も足を運んだ。したらダムに人生かけて反対し続けた伊藤仙二というおじいさんと何度も会って話をし、毎日のように電話をした。伊藤仙二さんは去年だったか亡くなった。古いファイルのフォルダーに毎日のように電話をしたその録音が数十のファイルとなって残っていることを最近確かめた。私の人生の肥やしになっていることは間違いないし、栄養を取るために、そこに根っこを広げたことは間違いない。

60歳の時に松竹のタレントスクールに入学して、一年間、欠かすことなく、土日に二日間、全て芸人としての勉強、ネタ作りとネタ見せを訓練し、所属審査に合格し、芸人にもなった。このことは、ここでは詳しく書き切れないが、 そこにも人生の確かな根っこを張った。

至る所で根っこを広げた。人間は植物ではないのだから、同じ場所に根を張る必要はない。いや、もちろん、同じ場所に根を張り続ける人生も素敵だ。しかし、私にはそれはできなかった。そういうキャラなのだ。だからどこにでも根を張った。そこで一生懸命根を伸ばして、自分の人生を豊かにする栄養をとってきた。

自分のこれまでの人生は「ハチスの花」ほどに咲かなかった、これからもそうなることはないだろうし、期待もしていない。ただ、流浪の人生ではあったが、その場所その場所では懸命に全力で根を張ったということには、確信を持っている。

人の根も植物の根と同じで、いつか朽ち果てた時に、その根は他の植物や動物の餌になる。それはそれでいい。 それで十分だ。

 


2021年4月7日水曜日

『現代古典派経済学』

 上智大学のサイトに公開していた『現代古典派経済学』を、再度組版し直して以下のところからpdfファイルをダウンロードできるようにした。

ダウンロード

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来歴(本文扉に記載したものを再掲)

本書のオリジナルは、1989年5月20日に書かれた。今回、大学の退職に伴ってウェッブサイトを閉じたので、あらためて広くダウンロードできるサイトに掲載することとした。ただし、これまで掲載していたものは、オリジナルのテキスト版で、数式がテキストで書かれているものだったために、多くが正しく読めないものになっており、また、図表は掲載されていなかった。

今回、再公開にあたって、latexで組版し、数式を美しく記載することにした。また、図表については、オリジナルの手書きのものが失われてしまっていたために、改めてドローツール(inkscape)で書き直した。ただし、数式については、できるだけ正しく転記するよう心がけたが、思わぬ記載ミスがある可能性が高い。また、図については、オリジナルで、どのようなものを書いたか全く記憶にはないために、本文の記載を追いながらイメージし描いたが、これが大変困難な作業で、適切なものになっていない可能性を排除できない。描くことを諦めようかとも思ったが、私が諦めたら誰も再現できないと思いなんとか描いた。これらについては、読者諸氏の批判を歓迎したい。

また、基本的に内容はオリジナルを尊重した。その上で、明らかな誤記はただし、内容の理解の上でどうしても必要と思える記述を書き加えた。書き加えたところには、可能な限りそのことがわかるようにしている。

数式や図の多さから、改訂には相当の時間と労力を要した。しかし、改めて読んでみると、若い頃の自分の迸る思いが随所に現れていて小気味良く、また、個人的に見渡す限り、世間に類書も見当たらないので意味があるのではないかと思い、なんとか最後まで改訂の作業を続けられた。

なお、本書の、さらに元になった原稿は、もともと神戸大学経済学研究科に博士の学位論文として提出する予定だった。その原稿を当時の指導教教授の一人であった置塩信雄教授にお送りしたところ、長大なコメントを2回の手紙でいただいた。当時岩手大学に在職していたが、コメントをいただいたのちに、そのコメント内容の理解のために、先生と神戸で面談した記憶もある。しかし、そのコメントの全てに応えようとしているうちに、自分の関心が、経済学を環境問題に応用することに移っていき、結局、この原稿とはほぼ無関係の、その後の研究をまとめた「環境とエネルギーの経済分析」という著作を学論文として神戸大学に提出して、博士号をいただくことができた。その頃は、もう、置塩先生は神戸大学を退職されていた。

学位論文としての用がなくなった本論稿は、その後「現代古典派経済学」と題して編集し直した。しかし、そこまでで作業は止まり、著作として公刊されることもなかった。

その後、この原稿は、荒っぽくウェッブには公開されていたが、上記に書いた粗悪な形式の理由で、誰も最後まで読まなかったはずだ。いや、これに限らず、今日までに公開した著作や論文のほとんどについて、広く社会の共感や理解を得たものはなかった気がするがる。したがって今回の改訂をふまえても、またそうなる可能性は十分あるが、もし一人でも全体を見て何か感じるところがあった方があれば、著者としてはもうそれで本望である。

2021年4月3日 鷲田豊明 記す


2021年4月6日火曜日

人の道を説く人

 自らはひたすら権力志向、上昇志向で、人を蹴落としても上り詰めようとしてきた人が、人の一段上から言葉を発する時になって人の道を説く姿を見ると、醜い。

崇高な言葉から腐敗臭がする。

だが、その人を見上げている人々が、そういう言葉を期待しているという姿を見ると、そのような社会システムのあり方にただただ失望するだけである。

2021年4月5日月曜日

あらためて感謝

 機会を逸すると困るので、ここに書いておきます。

私は貧しい農家の次男で、取り立てて器用でもなかったので、大学に行く道しかありませんでした。結果として、大学の授業料は、ほとんど免除でした。ほとんどというのは、学生運動に没頭して1年間大学に行かず留年したので、5年目の1年間分の授業料は払いましたが、4年間は免除していただいて、学費を払わなかったということです。

さらに4年間は、月1万2千円の特別奨学金がもらえました。これは大きかったです。宿舎費と電気水道代で月数百円の大学の学生寮に入っていたのですが、貧しかったので、もらえる日が楽しみで仕方がなかったおもいでがあります。当時、最初の頃は、振り込みではなかったような気がしますが、印鑑と奨学生手帳を持って大学に行って、大学内の郵便局か、大学の窓口か、お札を手にして嬉しかった記憶が今でも残っています。

その後教職に就いたために、ある程度勤務年数を重ねたのちに、この奨学金の大半は返還免除になりました。

大学院の前期課程2年間、後期課程1年間も授業料免除でした(後期課程1年過ぎた時に岩手大学の専任講師になったために中退した)。しかも、毎月7万数千円の奨学金がもらえました。すでに子供二人いましたが、妻が看護師として働いていたこともあって、全くバイトをせず、子供の送迎はやりましたが、ひたすら勉強をしていました。

教職勤務を重ねたのちに、この奨学金も返還免除になりました。

それで、大学の教員になりましたが、その勉強のための費用はかなりの割合が、国民の税金から支払われたことになります。そのことに対して心から感謝を言いたいのです。

大学教員になってからも、多分勤務している間に、文系にも関わらず、数千万円では収まらない、へたすれば1億円近い研究費を使ったと思われす。それらのほとんどは、結局自分の今ある脳を鍛えるために使ったと言っても言い過ぎではないでしょう。これらのほとんども結局国民の税金から支払われたというべきです。

そういうわけで、人生を支えてくれた国民の皆様への感謝の気持ちを忘れまいといつも思っております。

2021年4月4日日曜日

昔の論文にふと狂気を感じる

 いま、30年以上前に書いた現代古典派経済学という古い原稿をtexで書き直しているのだが、その一つの章で、古典派経済学の再生産費賃金理論について論じている。

再生産費賃金理論を突き詰めると、人間の命の価値を考えざるを得ず、労働力と命が一つの結合生産物として扱うことになり、最終的に新しい生命や生殖というものも経済学的に議論しなくてはいけなくなることを示している。それをかなり一般的な数学モデルで議論しているのだが、その異様に深い理論的展開に、これを書いた自分の頭がおかしいのではないかと、ふと感じたのだ。

これはその現代古典派経済学の一つの章に再現しているが、元々は、岩手大学人文社会科学部の紀要に掲載した英語の論文だ。興味があれば、以下のページに文献概要と、全文のダウンロードリンクが貼られているので、ご覧になられるといい。

「ECONOMIC THEORY OF LIFE PROCESS : ON LIFE AND LABOR POWER AS JOINT PRODUCTS」

線形再帰アルゴリズムのMNIST数字データのパフォーマンス

 この間、新しいアルゴリズムの改良をしてきたが、正解率の最大は93.36%にとどまる。すなわり、トレーニング後、それには使わなかったテストデータ10000個の数字について認識させると、664個の誤りが出るということだ。このままのアルゴリズムではこの辺りが限界のように思う。これ以上...