2021年4月5日月曜日

あらためて感謝

 機会を逸すると困るので、ここに書いておきます。

私は貧しい農家の次男で、取り立てて器用でもなかったので、大学に行く道しかありませんでした。結果として、大学の授業料は、ほとんど免除でした。ほとんどというのは、学生運動に没頭して1年間大学に行かず留年したので、5年目の1年間分の授業料は払いましたが、4年間は免除していただいて、学費を払わなかったということです。

さらに4年間は、月1万2千円の特別奨学金がもらえました。これは大きかったです。宿舎費と電気水道代で月数百円の大学の学生寮に入っていたのですが、貧しかったので、もらえる日が楽しみで仕方がなかったおもいでがあります。当時、最初の頃は、振り込みではなかったような気がしますが、印鑑と奨学生手帳を持って大学に行って、大学内の郵便局か、大学の窓口か、お札を手にして嬉しかった記憶が今でも残っています。

その後教職に就いたために、ある程度勤務年数を重ねたのちに、この奨学金の大半は返還免除になりました。

大学院の前期課程2年間、後期課程1年間も授業料免除でした(後期課程1年過ぎた時に岩手大学の専任講師になったために中退した)。しかも、毎月7万数千円の奨学金がもらえました。すでに子供二人いましたが、妻が看護師として働いていたこともあって、全くバイトをせず、子供の送迎はやりましたが、ひたすら勉強をしていました。

教職勤務を重ねたのちに、この奨学金も返還免除になりました。

それで、大学の教員になりましたが、その勉強のための費用はかなりの割合が、国民の税金から支払われたことになります。そのことに対して心から感謝を言いたいのです。

大学教員になってからも、多分勤務している間に、文系にも関わらず、数千万円では収まらない、へたすれば1億円近い研究費を使ったと思われす。それらのほとんどは、結局自分の今ある脳を鍛えるために使ったと言っても言い過ぎではないでしょう。これらのほとんども結局国民の税金から支払われたというべきです。

そういうわけで、人生を支えてくれた国民の皆様への感謝の気持ちを忘れまいといつも思っております。

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