2022年8月16日火曜日

将軍と兵士

 歴史上には無数の戦争の記録がある。歴史の区切りは戦争に彩られていると言ってもいい。

そこでは将軍の下、無数の兵士が武器を持って戦い、そして死んでいった。記録に残る歴史には、兵士を死なせた将軍のことは書かれているが、死んでいった数えきれない兵士のことは、ほとんど書かれない。もちろん、一兵卒の記録が偶然残されることはある。が、歴史としての意味づけは与えられない。

人々の関心はもっぱら将軍の言動に惹きつけられる。

考えれば不思議なことだ。人間としての死の意味に変わりはないのに、なぜ歴史は将軍の言動としにのみ関心を持つのか。

それを理解するためには、またしても「システムの人格化」に登場してもらわなければならない。システム化された人間の社会を生きる我々は、実態としての人間と、システムの人格化されたものとしての人間という二重化された存在だ。将軍というのは、システムの中でのみ意味を持つ。そういう意味では、システム化した人格のスケルトンのようなものである。もちろん、それは、それが生きている時代にとっては、実態としての人間によって担われているのであるが、歴史的存在になれば、それは将軍というシステム化された人格だけが残っていくのである。

一兵卒もまた、システム化された人格である。ただ、それを担う実態としての人間は、将軍の実態である人間と、特に変わるところはない。一兵卒も、システムにとっては、多くはチリの一つにすぎないものだが、それによって実態としての人間もまたチリの一つになるわけではない。将軍と同じように、人間の生死がそこにはあるのだ。

戦争もまた、社会システムの悪魔的創造物であり、それがまた、兵士と将軍を意味出すのである。

2022年6月13日月曜日

つっぱる人

 今はあまり使わなくなったが、昔、少し不良時見て世間外れの姿や言葉や行いをする若者のことをツッパリといった。

今の自分はツッパリだと感じる時がしばしばある。ツッパリとは、世間と会わないことにこだわって、通そうということだ。

ツッパリは、面倒だが、あくまで自分の思いを通そうという作業に他ならない。いろいろ面倒なことも起こる。厄介な人間関係も出てくる。直接自分の進みたい方向に関係のない、時間や、作業や、費用が発生する。それでも、それらをなんとクリアしながら頑張るしかない。

これが突っ張らずに、周りや社会に合わせようとすれば、そんな無理は避けることができる。しかしそれは自分の思いを捨てること。

いよいよ面倒が多くなりすぎれば、ツッパリから撤退するしかないが、それまではツッパリ的な整合性を貫きたいものだ。

2022年2月26日土曜日

クトゥーゾフ将軍

ゾッとするほどの悪辣なロシアによる侵略。 今の事態を見ていると、逆にウクライナの大統領が、トルストイの「戦争と平和」に出てくるナポレオンの侵攻と戦ったクトゥーゾフ将軍のように見えてくる。それは全く私の願望なのだが。

2021年9月16日木曜日

後20年生きるとしたら

 確かに、20年も生きられない可能性は十分に高い。しかし、時間がどれほど残されているか、それを想定しながら人生を考えるのは必要だ。そして、もし、2。3年の残された時間を想定すれば、小さなターゲットに日々を使うことになり、何かしらそこには物足りなさが生まれざるを得ない。だから、その日々がある可能性が低くても20年くらいの想定は必要だと思えるのだ。

もちろん、その長さでは、努力半ばで終わる可能性も高い。しかしそれはそれで良いような気がする。

2021年6月1日火曜日

ドローン革命

 あと数十年すると、足のついたロボットは時代遅れになるだろう。なくなることはないかもしれないが。

基本的にドローン型ロボットになって、高度な自動制御で、人や荷物を運ぶのは当然で、それ以外に、例えば、テレビ局で番組撮影するカメラは全てドローンになるとか。人の見守り、秘書的サポート、農作物の育成、漁業に林業、さらには災害救助、災害予防、などなど、世の中ドローン型ロボットで埋め尽くされる気がする。

結局、今のロボットは、足やタイヤで移動するという束縛の大きさの中で、その重みで、沈んでいってしまう。未来の人間から見れば、足つきロボットはセピア色の光景になる。

ドローンも、今は、なんだか外で動画を撮影するとか、外での業務にばかり人は目を向けているが、それよりも、高度なAI機能を搭載したドローンが室内で何をやれるのかを考えた人間が、時代を先取りできるだろう。

自動運転の自動車は、確かに未来を象徴するが、それよりもドローンの時代が先に進んでいってしまう可能性もある。

今のワクチンのように、規制が強くて結局世界から取り残されるという、馬鹿な国にはならないで欲しいものだ。ドローン革命が必要だ。

2021年5月27日木曜日

自己のミクロ的識別

 新型コロナウィルスと人間の闘いは、ミクロな世界における、物質的な自己と非自己の闘いである。体内に入ったウィルスは、本来、非自己と排除されなければならない。人間は、物理的に自己と非自己を識別する能力を免疫システムという形で保有している。自己と非自己の識別が適切に機能しなくなると、ウィルスの感染と発症が起こる。

2021年5月19日水曜日

正法眼蔵と正法眼蔵随聞記


 二つの本は、ともに講談社文庫のものを利用している。

昔学生の頃、このどちらかを持っていた。が、結局読まなかった。多分その頃読んでも引っかかるものは何もなかったからだと思う。難しそうだなで終わっていた。

しかし、今読むと引っ掛かりがたくさん出てきる。確かにどちらも、修行する僧のために書かれていると言ってもいい。とくに、随聞記の方は、そのようになっている。正法眼蔵の方は、道元自身が書いたので、法理に関わるものが多い。もちろん、修行の進め方に関するものはしっかり含まれている。なにしろ大小便の仕方、洗面の仕方がそれぞれ1巻全部に延々と書かれているところもあるのだから。

しかし、禅宗が、なにおおいても座禅が軸になっているので、法理の構造がわかりやすい面があるような気はする。

私の場合は、修行するような体も残っていないので、今更座禅をしてという気持ちにはならない。ただし、道元さんは、思った時に修行を始めなさいと強調しているが。

それと、講談社文庫の正法眼蔵は全部で7、8巻あった。そのうちのまず1巻を読んだ。いつもなら、この歳になると大人買いをする。全巻揃えて読み始めるのだが、今回はそうしなかった。なぜなら、この間、それで何度も失敗したからである。全巻揃えて、結局1巻も読み切らずに、読む気をなくすことが続いたから、まず、1巻からにしたのだ。一応最後まで目を通したので、昨日2巻を発注した。今日中に届くが、それまでの空いた時間で、気になったところをこのブログにあげておいた。まだまだ時間があるので、「有時の巻」について、今から動画を作ろうと思っている。10分で話切れるように、まとめなければならないが、適当にやる。

将軍と兵士

 歴史上には無数の戦争の記録がある。歴史の区切りは戦争に彩られていると言ってもいい。 そこでは将軍の下、無数の兵士が武器を持って戦い、そして死んでいった。記録に残る歴史には、兵士を死なせた将軍のことは書かれているが、死んでいった数えきれない兵士のことは、ほとんど書かれない。もちろ...