2022年8月16日火曜日

将軍と兵士

 歴史上には無数の戦争の記録がある。歴史の区切りは戦争に彩られていると言ってもいい。

そこでは将軍の下、無数の兵士が武器を持って戦い、そして死んでいった。記録に残る歴史には、兵士を死なせた将軍のことは書かれているが、死んでいった数えきれない兵士のことは、ほとんど書かれない。もちろん、一兵卒の記録が偶然残されることはある。が、歴史としての意味づけは与えられない。

人々の関心はもっぱら将軍の言動に惹きつけられる。

考えれば不思議なことだ。人間としての死の意味に変わりはないのに、なぜ歴史は将軍の言動としにのみ関心を持つのか。

それを理解するためには、またしても「システムの人格化」に登場してもらわなければならない。システム化された人間の社会を生きる我々は、実態としての人間と、システムの人格化されたものとしての人間という二重化された存在だ。将軍というのは、システムの中でのみ意味を持つ。そういう意味では、システム化した人格のスケルトンのようなものである。もちろん、それは、それが生きている時代にとっては、実態としての人間によって担われているのであるが、歴史的存在になれば、それは将軍というシステム化された人格だけが残っていくのである。

一兵卒もまた、システム化された人格である。ただ、それを担う実態としての人間は、将軍の実態である人間と、特に変わるところはない。一兵卒も、システムにとっては、多くはチリの一つにすぎないものだが、それによって実態としての人間もまたチリの一つになるわけではない。将軍と同じように、人間の生死がそこにはあるのだ。

戦争もまた、社会システムの悪魔的創造物であり、それがまた、兵士と将軍を意味出すのである。

2022年7月24日日曜日

自分を知る

 最近、ドローンのことに没頭している。

東京の自宅を中心に、ドローンの制作に励んでいたが、航空法の制約で限界を感じ、千葉の土地を購入し、そこで試験飛行などをしていた。二之袋ベースと呼ぶ。当初は、土地の向かいの工務店の社長さんが便宜を図ってくれて、二階の一室を作業部屋として使わせていただいていた(2022年5月初めから)が、あまり正当なことではない気がして、そこを撤収した(6月)。

作業場を二之袋ベースの上に作ろうとしてが、受け入れられる費用では建設できないことがわかり、結局、そこから300メートル離れたところに、古い母家と小屋がついた土地が売りに出されていたので、それを購入した(7月15日)。下ケ傍示ベースと呼ぶ。

今そ下ケ傍示ベースの清掃や小屋の修理、170坪はある土地の整備をやっている。広い土地なので、やりたいこと、やれること、やらなければならないことはたくさんある。そのために、次の大型ドローンのフレームやローター、コントロールシステムは用意できているのだが、それの試験飛行などには入れないでいる。しかし、それはやむを得ないことだと思っている。下ケ傍示ベースが使いやすくなれば、ドローンの製作をより効率的に行えると思うからだ。

というわけで、去年の6月あたりからほぼドローンのことばかりやっているが、なぜそこまでやるのかと自分でも思う時がある。しかし、その根本的動機づけが、「自分を知りたいから」というところにあるから、やめようとは思わない。いろいろ、困難にもぶつかるが、それをどう受け止め、クリアするのかを通して、ただただ、自分を知りたいのだ。自分の性格、自分の才能などなど、これまでの人生でわからなかった自分の姿の全貌を、ドローンという大きな課題に立ち向かいながら知りたいと思うのだ。

もちろん、使えるお金も限られているので、いつまでも続かないかもしれない。しかし、それはそれでいい。また、自分を知るための別の材料を探すだろう。ただ、今は、このドローンという課題が、自分のいろいろな能力を支出せざるを得ない状況に追い込んでいる。格好の、ネタなのだ。

ドローンの何をやっているのかはここでは書かない。別のブログで細かく書いているのでそちらを観ていただきたい。

2022年6月13日月曜日

つっぱる人

 今はあまり使わなくなったが、昔、少し不良時見て世間外れの姿や言葉や行いをする若者のことをツッパリといった。

今の自分はツッパリだと感じる時がしばしばある。ツッパリとは、世間と会わないことにこだわって、通そうということだ。

ツッパリは、面倒だが、あくまで自分の思いを通そうという作業に他ならない。いろいろ面倒なことも起こる。厄介な人間関係も出てくる。直接自分の進みたい方向に関係のない、時間や、作業や、費用が発生する。それでも、それらをなんとクリアしながら頑張るしかない。

これが突っ張らずに、周りや社会に合わせようとすれば、そんな無理は避けることができる。しかしそれは自分の思いを捨てること。

いよいよ面倒が多くなりすぎれば、ツッパリから撤退するしかないが、それまではツッパリ的な整合性を貫きたいものだ。

2022年2月26日土曜日

クトゥーゾフ将軍

ゾッとするほどの悪辣なロシアによる侵略。 今の事態を見ていると、逆にウクライナの大統領が、トルストイの「戦争と平和」に出てくるナポレオンの侵攻と戦ったクトゥーゾフ将軍のように見えてくる。それは全く私の願望なのだが。

2021年9月16日木曜日

後20年生きるとしたら

 確かに、20年も生きられない可能性は十分に高い。しかし、時間がどれほど残されているか、それを想定しながら人生を考えるのは必要だ。そして、もし、2。3年の残された時間を想定すれば、小さなターゲットに日々を使うことになり、何かしらそこには物足りなさが生まれざるを得ない。だから、その日々がある可能性が低くても20年くらいの想定は必要だと思えるのだ。

もちろん、その長さでは、努力半ばで終わる可能性も高い。しかしそれはそれで良いような気がする。

2021年6月1日火曜日

ドローン革命

 あと数十年すると、足のついたロボットは時代遅れになるだろう。なくなることはないかもしれないが。

基本的にドローン型ロボットになって、高度な自動制御で、人や荷物を運ぶのは当然で、それ以外に、例えば、テレビ局で番組撮影するカメラは全てドローンになるとか。人の見守り、秘書的サポート、農作物の育成、漁業に林業、さらには災害救助、災害予防、などなど、世の中ドローン型ロボットで埋め尽くされる気がする。

結局、今のロボットは、足やタイヤで移動するという束縛の大きさの中で、その重みで、沈んでいってしまう。未来の人間から見れば、足つきロボットはセピア色の光景になる。

ドローンも、今は、なんだか外で動画を撮影するとか、外での業務にばかり人は目を向けているが、それよりも、高度なAI機能を搭載したドローンが室内で何をやれるのかを考えた人間が、時代を先取りできるだろう。

自動運転の自動車は、確かに未来を象徴するが、それよりもドローンの時代が先に進んでいってしまう可能性もある。

今のワクチンのように、規制が強くて結局世界から取り残されるという、馬鹿な国にはならないで欲しいものだ。ドローン革命が必要だ。

2021年5月27日木曜日

自己のミクロ的識別

 新型コロナウィルスと人間の闘いは、ミクロな世界における、物質的な自己と非自己の闘いである。体内に入ったウィルスは、本来、非自己と排除されなければならない。人間は、物理的に自己と非自己を識別する能力を免疫システムという形で保有している。自己と非自己の識別が適切に機能しなくなると、ウィルスの感染と発症が起こる。

将軍と兵士

 歴史上には無数の戦争の記録がある。歴史の区切りは戦争に彩られていると言ってもいい。 そこでは将軍の下、無数の兵士が武器を持って戦い、そして死んでいった。記録に残る歴史には、兵士を死なせた将軍のことは書かれているが、死んでいった数えきれない兵士のことは、ほとんど書かれない。もちろ...