鷲田豊明のブログ 2021年1月〜
誇りという言葉は、人をかりたて支えるものとなり得る。しかし、私がいつも意識する言葉ではない。というのも、この言葉は他者に対する意味が強すぎる。基本、「他者に誇る」のである。他者の存在抜きに、誇りが意味を成さないかといえば、必ずしもそうではないがそういう意味合いはない。
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最近AIと対話していて、自分は業偏屈なんだと思った。 「業偏屈?なにそれ」と、大概の方は思うだろう。これは私が作った言葉だから、日本語にはない。疑問を持つのは当然だ。 もともとAIとの対話の出発点は、イーグルスの「Desperado」という歌の歌詞をどう解釈するかだった。Des...
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