権利というのが、特殊な社会関係であることはまちがいない。
以前、川島武宜氏の「所有権法の理論」という本を持っていた。おそらく20代の頃に読んで、それをずっと持っていたのだが、上智大学を辞めるときに処分してしまった。やむを得ないとは思うが、少し後悔はある。所有関係がものと人との関係ではなく、人と人との関係なのだという論理を読んで目が開かれた気がしたのを記憶している。記憶間違いでないと思うが。
権利一般もまた人と人との関係性なのだ。権利は法的保護の対象になる場合がある。たとえば、憲法には国民は、健康で文化的な最低限度の生活を受ける権利があると書かれている。この最低限度という言葉には問題があるが、国民の正当な権利である。
このような権利が約束されていながら、現代日本で、生活が困窮していても、生活保護を遠慮する人が 少なからずいるということだ。
1996年、東京池袋で母子が餓死するという事件があった。障害者の子を抱えた老いた母だった。その母が自殺するまで、詳細な日記をつけていて、それは「悲しい日記」と題して出版された。読めば切なくて胸締め付けられる思いが湧いた。なぜ生活保護を受けなかったのか、自分のような役に立たない人間が生活保護など受けることはできないという信念を持っていたようだ。
当時、東京江東区でも、車上生活をしていた夫婦が餓死する事件があった。とうじ、その現場を訪れた記憶がある。なぜ、その夫婦が車上生活をし、餓死という選択肢を選んだのか、わかりたいと思ったからだ。
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