能力の差と富の差

 社会に豊かなものと貧しい者がいる、すなわち社会に格差がある理由として、人の能力の差が言われることがある。会社を大きくする能力があったから、莫大な収入を得られるようになった。あるいは、野球の能力が優れていたから、たくさんの年俸がもらえる選手になったとか。

能力が結果をもたらしたとする考えそのものは間違っていないとは思うが、能力を活かすフィールドがあったから、その能力は活かせたわけだ。いや、その能力をもとに努力したからだというのもあるかもしれない。しかし、努力すれば全て報われるかというと、そうではない。どの世界でも、その世界で花を咲かそうと思って努力をし続けても報われない人も大勢いることは間違いない。

能力の差が富の差を生み出したわけではない。社会が必要とする能力を持っていた人が選ばれただけなのである。

努力するかどうか、すべき努力を見つけるかどうかも含め、それもまた能力である。

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誇りについて

 誇りという言葉は、人をかりたて支えるものとなり得る。しかし、私がいつも意識する言葉ではない。というのも、この言葉は他者に対する意味が強すぎる。基本、「他者に誇る」のである。他者の存在抜きに、誇りが意味を成さないかといえば、必ずしもそうではないがそういう意味合いはない。