昔、自分の子供に「働かざる者食うべからず」と言ったあと、すぐにその間違いに気づき謝った。
どのような状況にあっても、社会は人に、生きるために必要な手段を与えるべきだ。
ベーシックインカムの向こうにある社会は、社会の富をより多く自分のもにしようとする行為が異常に見える社会だ。
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2025年の収支
妻に、家計簿をもとに、去年一年の家計の収支を計算してもらった。年金生活を始めて五年になる。だいぶ慣れてきた。 千葉にセカンドハウスはあるが、そちらは単なる別荘ではなく、プリズムというアロハシャツと藍染の店になっているので、別会計になっている。そちらは、維持費をまかなうのが主な目...
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平山諦氏の「関孝和」(昭和34年刊)に掲載されている、若かりし頃の関孝和氏のピタゴラスの定理は以下のようなものである。氏は、図だけで証明されているとしているが、あえて少し解説を加える。 上のものが、平山氏による写の図だが、私の手書きのように記号をつけよう。証明すべきものは、 ...
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昔、自分の子供に「働かざる者食うべからず」と言ったあと、すぐにその間違いに気づき謝った。 どのような状況にあっても、社会は人に、生きるために必要な手段を与えるべきだ。 ベーシックインカムの向こうにある社会は、社会の富をより多く自分のもにしようとする行為が異常に見える社会だ。
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誇りという言葉は、人をかりたて支えるものとなり得る。しかし、私がいつも意識する言葉ではない。というのも、この言葉は他者に対する意味が強すぎる。基本、「他者に誇る」のである。他者の存在抜きに、誇りが意味を成さないかといえば、必ずしもそうではないがそういう意味合いはない。
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