昔、自分の子供に「働かざる者食うべからず」と言ったあと、すぐにその間違いに気づき謝った。
どのような状況にあっても、社会は人に、生きるために必要な手段を与えるべきだ。
ベーシックインカムの向こうにある社会は、社会の富をより多く自分のもにしようとする行為が異常に見える社会だ。
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誇りについて
誇りという言葉は、人をかりたて支えるものとなり得る。しかし、私がいつも意識する言葉ではない。というのも、この言葉は他者に対する意味が強すぎる。基本、「他者に誇る」のである。他者の存在抜きに、誇りが意味を成さないかといえば、必ずしもそうではないがそういう意味合いはない。
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平山諦氏の「関孝和」(昭和34年刊)に掲載されている、若かりし頃の関孝和氏のピタゴラスの定理は以下のようなものである。氏は、図だけで証明されているとしているが、あえて少し解説を加える。 上のものが、平山氏による写の図だが、私の手書きのように記号をつけよう。証明すべきものは、 ...
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個人の合目的的行動が社会全体として一つの全体的構造を形成することを、天潤なモデルのシミュレーションで示した。それによる社会のアクティビティの変化、個人の格差のジニ係数による測定などの閣下を示している。まだ、草稿ですので、文言の誤り、内容的誤り等多々あるかと思いますが、ご指摘いた...
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昔、自分の子供に「働かざる者食うべからず」と言ったあと、すぐにその間違いに気づき謝った。 どのような状況にあっても、社会は人に、生きるために必要な手段を与えるべきだ。 ベーシックインカムの向こうにある社会は、社会の富をより多く自分のもにしようとする行為が異常に見える社会だ。
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