昔、自分の子供に「働かざる者食うべからず」と言ったあと、すぐにその間違いに気づき謝った。
どのような状況にあっても、社会は人に、生きるために必要な手段を与えるべきだ。
ベーシックインカムの向こうにある社会は、社会の富をより多く自分のもにしようとする行為が異常に見える社会だ。
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「嚶鳴寮の時代」とはなんであったのか
神戸大学に赴任したのは40歳の時だから、31年前だ。その頃、昔、学生だった同じ時間を共有した嚶鳴寮生用にメーリングリストを立ち上げた。最近は30人ほどが登録していた。長年、運用と管理をしてきたが、それを一方的(全体の了解もなしにの意)に、今度閉鎖することにした。その時の通知文を...
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誇りという言葉は、人をかりたて支えるものとなり得る。しかし、私がいつも意識する言葉ではない。というのも、この言葉は他者に対する意味が強すぎる。基本、「他者に誇る」のである。他者の存在抜きに、誇りが意味を成さないかといえば、必ずしもそうではないがそういう意味合いはない。
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人間は時代という怪物の下僕でしかないが、時代は神の下僕である。
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