五つの大学に勤めてきて、大学を変わるたびに大量の本を捨ててきた。数えてはいないが、数千冊捨てたことになるだろう。それでも、最後の上智大学を辞めても捨てずに、持ち続けた本がいくつかある。そのうちの一つがマルクスの資本論である。
久しぶりに資本論を、引っ越し箱から出してきた。
全3巻、5分冊。学生時代に第1巻だけは読んで、その後卒業してから1、2年のうちに3巻全部を読んだ。その後マルクスエンゲルス全集を買って、剰余価値説などを読み、さらに、別巻でその頃出版され始めた資本論草稿集もかなり読んだ(全部はさすがに読めなかった)。
資本論を初めて見たのは、高校時代だった。そのころ長編小説を漁って読んでいたのだが、本屋に行った時に見たこともない長編の本が置かれていた。それが資本論だった。しかし、ノンポリの自分には何が何だか分からなかったが、印象は消えなかった。
1巻を読んでいた学生時代、どうしても分からないところがあったので、大学の経済学の先生に質問に行ったことがある。質問も回答も記憶にないが、学生時代、経済学の先生に質問したのはそれが最初で最後だった。
資本論は偉大な本だ。現代の経済学、私が大学院時代に習った経済学は、この資本論からかなり離れたものだったが、この本は、資本主義社会の本質を描いている。経済現象の説明力はあまりない。それは現代経済学の方がはるかにレベルが高い。しかし、それは説明に過ぎないのだ。社会の本質を描く学問ではない。マルクスの資本論は説明力はないが社会の本質を描写している。学問の目的がそもそも異なっているのだ。
近代の経済学もマルクスの経済学も、どちらも有用なものだ。人が生きていく上で必要とする視座を与えてくれる。
今日の大学の経済学の分野から、マルクスの経済学が失われてしまったのは残念だがやむおえない。マルクスの経済学を研究していた人たちの多くが、現代の経済現象の説明もその枠組みで語れると錯覚していたからだ。マルクスの経済学はそんな風に使われるべきものではないのだから。
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