2021年4月14日水曜日

最大呼吸仮説 Maximum Respiration Hypothesis

 今日何気にネットを探索していたら、1995年にオランダで出版されているEcological Modelingという生態学の雑誌に掲載した自分の論文(Ecosystem Configuration Consequent on the Maximum Respiration Hypothesis)が、30数件、引用・参照されていることがわかるページに突き当たった。私が全く知らない外国の研究者が、見ていることに、面白さを感じた。


最大呼吸仮説とは、生態系は、生態系全体で生産される呼吸排熱を最大化するように生態系の構造を構成しているという仮説だ。それはあたかも、生態系全体の統率者がいるように。あるいは、生態系全体の目的が組み込まれているように。

ふと自分の胸に「その仮説は今でも正しいと思うか?」と問うてみた。やはりそれは正しいという思いが自然に湧いてきた。

1998年には、Material Dissipative Conditions and the Impossibility of Complete Recycling"という論文を Structural Change and Economic Dynamicsという海外の雑誌に発表した。ここにも、未だ古くなっていない斬新な命題を示していた。これも、知らない海外の研究者に引用されている。

私にとって、研究者としての1990年台は、先の著作にもあるように新しい思考が溢れるように、生まれてきた時代だったのだと、振り返って思うのだ。しかし、私には、落胆する思いが拭い切れなかった。

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誇りについて

 誇りという言葉は、人をかりたて支えるものとなり得る。しかし、私がいつも意識する言葉ではない。というのも、この言葉は他者に対する意味が強すぎる。基本、「他者に誇る」のである。他者の存在抜きに、誇りが意味を成さないかといえば、必ずしもそうではないがそういう意味合いはない。