ふと自分の根はどこにあるのだろうか、と考える。
寅さんの歌に「ドブに落ちても根のある奴は、いつかはハチスの花となる」という節がある。ハチス=蜂巣=蓮、ということらしい。
故郷の福井だろうか。確かにその郷里には根っこがある。小学校の頃、科学者に憧れ無線に憧れ、ラジオを分解して送信機を作ったりしていた。今に生きていることは間違いない。中学校になれば本に目覚めた。それからスポーツもやったがそれは根っこになっているようには思えない。高校では小説にハマった。どれも今の自分のルートの一つだ。
その故郷を18で離れてから、日本全国を転々とした。どこにも根を生やしたと思う。枯れた根もあっただろうが。大学を過ごした名古屋、いろいろな根を広げた。そこで学生運動に走らなかったら、マルクスにも出会わず経済学にも出会わず、間違いなく経済学の研究者にはならなかった。したがって、大学教授になることも100%なかったはずだ。学生時代は確かに根っこに違いない。
学生運動をやったから、のちに兵庫県知事選挙に出るなど、その学生時代の消し炭のようなものを燃やすことはなかっただろう。
知事選挙では市民運動の大勢の人たちの間に根を張った。新しい栄養を吸収できた。
豊橋に住んでいた時は、設楽ダムの反対運動をやり続けた。設楽ダムを考える市民の会を作り、ダムの建設現場に幾度も幾度も足を運んだ。したらダムに人生かけて反対し続けた伊藤仙二というおじいさんと何度も会って話をし、毎日のように電話をした。伊藤仙二さんは去年だったか亡くなった。古いファイルのフォルダーに毎日のように電話をしたその録音が数十のファイルとなって残っていることを最近確かめた。私の人生の肥やしになっていることは間違いないし、栄養を取るために、そこに根っこを広げたことは間違いない。
60歳の時に松竹のタレントスクールに入学して、一年間、欠かすことなく、土日に二日間、全て芸人としての勉強、ネタ作りとネタ見せを訓練し、所属審査に合格し、芸人にもなった。このことは、ここでは詳しく書き切れないが、 そこにも人生の確かな根っこを張った。
至る所で根っこを広げた。人間は植物ではないのだから、同じ場所に根を張る必要はない。いや、もちろん、同じ場所に根を張り続ける人生も素敵だ。しかし、私にはそれはできなかった。そういうキャラなのだ。だからどこにでも根を張った。そこで一生懸命根を伸ばして、自分の人生を豊かにする栄養をとってきた。
自分のこれまでの人生は「ハチスの花」ほどに咲かなかった、これからもそうなることはないだろうし、期待もしていない。ただ、流浪の人生ではあったが、その場所その場所では懸命に全力で根を張ったということには、確信を持っている。
人の根も植物の根と同じで、いつか朽ち果てた時に、その根は他の植物や動物の餌になる。それはそれでいい。 それで十分だ。
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