鷲田豊明のブログ 2021年1月〜
人間は、本来、普遍的あるいは宇宙的、さらには世界的また社会的な存在であり、同時に自意識ある主体的、したがってまた魂的な存在である。喜びもまた苦難も、この本源的な二重性が契機となっている。そうなると、死とは、この二重性が相互に独立した存在となることであり、そういう意味では、一つの完成であると言える。死によって完成する人間存在は、また、生の在り方に規定されている。完成した死の形を、人間存在の潜在能力を汲み尽くしたものにするために、その試された生を精一杯、生き抜かなければならない。
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最近AIと対話していて、自分は業偏屈なんだと思った。 「業偏屈?なにそれ」と、大概の方は思うだろう。これは私が作った言葉だから、日本語にはない。疑問を持つのは当然だ。 もともとAIとの対話の出発点は、イーグルスの「Desperado」という歌の歌詞をどう解釈するかだった。Des...
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