鷲田豊明のブログ 2021年1月〜
人間は、本来、普遍的あるいは宇宙的、さらには世界的また社会的な存在であり、同時に自意識ある主体的、したがってまた魂的な存在である。喜びもまた苦難も、この本源的な二重性が契機となっている。そうなると、死とは、この二重性が相互に独立した存在となることであり、そういう意味では、一つの完成であると言える。死によって完成する人間存在は、また、生の在り方に規定されている。完成した死の形を、人間存在の潜在能力を汲み尽くしたものにするために、その試された生を精一杯、生き抜かなければならない。
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神戸大学に赴任したのは40歳の時だから、31年前だ。その頃、昔、学生だった同じ時間を共有した嚶鳴寮生用にメーリングリストを立ち上げた。最近は30人ほどが登録していた。長年、運用と管理をしてきたが、それを一方的(全体の了解もなしにの意)に、今度閉鎖することにした。その時の通知文を...
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