人間は、本来、普遍的あるいは宇宙的、さらには世界的また社会的な存在であり、同時に自意識ある主体的、したがってまた魂的な存在である。喜びもまた苦難も、この本源的な二重性が契機となっている。そうなると、死とは、この二重性が相互に独立した存在となることであり、そういう意味では、一つの完成であると言える。死によって完成する人間存在は、また、生の在り方に規定されている。完成した死の形を、人間存在の潜在能力を汲み尽くしたものにするために、その試された生を精一杯、生き抜かなければならない。
2021年5月17日月曜日
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旧愛知県立図書館の思い出
旧愛知県立図書館の情報を探していても、具体的なものはほとんどないため、やや悲しくなって、ここに書いておこうと思い立った。 おそらく私が県立図書館に足繁く通ったのは1981年から83年ぐらいまでだったと思う。その頃私は、新栄にある事務所に通勤していた。結婚し子供もいた。26歳頃だ...
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平山諦氏の「関孝和」(昭和34年刊)に掲載されている、若かりし頃の関孝和氏のピタゴラスの定理は以下のようなものである。氏は、図だけで証明されているとしているが、あえて少し解説を加える。 上のものが、平山氏による写の図だが、私の手書きのように記号をつけよう。証明すべきものは、 ...
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昔、自分の子供に「働かざる者食うべからず」と言ったあと、すぐにその間違いに気づき謝った。 どのような状況にあっても、社会は人に、生きるために必要な手段を与えるべきだ。 ベーシックインカムの向こうにある社会は、社会の富をより多く自分のもにしようとする行為が異常に見える社会だ。
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個人の合目的的行動が社会全体として一つの全体的構造を形成することを、天潤なモデルのシミュレーションで示した。それによる社会のアクティビティの変化、個人の格差のジニ係数による測定などの閣下を示している。まだ、草稿ですので、文言の誤り、内容的誤り等多々あるかと思いますが、ご指摘いた...
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