正法眼蔵随聞記を読んだ。読んだというよりざっと全体を見たという方が正しい。
そのなかに、「百尺の竿頭に、さらに一歩を進めてみよ」という古人の言葉が何度か(知る限り三度)引用されている。私流に理解すれば、自我を捨てて大海に飛び込むように身を跳ばせば、悟りへの道が開けてくるということなのだ。
それはそれで道元さんらしい言葉なのだが、悟りへの道ではなくても、つまり、われわれのような凡俗の人生の中でも、何かを掴むために、もし跳び込めば、過去に得たもの全てを失うかもしれないけれども、それをやるということは、一度や二度はあるものだ。
道元さんの意図と違うところは、あえてそうするのは、自我を貫くためであることがしばしばであることだ。
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