二つの本は、ともに講談社文庫のものを利用している。
昔学生の頃、このどちらかを持っていた。が、結局読まなかった。多分その頃読んでも引っかかるものは何もなかったからだと思う。難しそうだなで終わっていた。
しかし、今読むと引っ掛かりがたくさん出てきる。確かにどちらも、修行する僧のために書かれていると言ってもいい。とくに、随聞記の方は、そのようになっている。正法眼蔵の方は、道元自身が書いたので、法理に関わるものが多い。もちろん、修行の進め方に関するものはしっかり含まれている。なにしろ大小便の仕方、洗面の仕方がそれぞれ1巻全部に延々と書かれているところもあるのだから。
しかし、禅宗が、なにおおいても座禅が軸になっているので、法理の構造がわかりやすい面があるような気はする。
私の場合は、修行するような体も残っていないので、今更座禅をしてという気持ちにはならない。ただし、道元さんは、思った時に修行を始めなさいと強調しているが。
それと、講談社文庫の正法眼蔵は全部で7、8巻あった。そのうちのまず1巻を読んだ。いつもなら、この歳になると大人買いをする。全巻揃えて読み始めるのだが、今回はそうしなかった。なぜなら、この間、それで何度も失敗したからである。全巻揃えて、結局1巻も読み切らずに、読む気をなくすことが続いたから、まず、1巻からにしたのだ。一応最後まで目を通したので、昨日2巻を発注した。今日中に届くが、それまでの空いた時間で、気になったところをこのブログにあげておいた。まだまだ時間があるので、「有時の巻」について、今から動画を作ろうと思っている。10分で話切れるように、まとめなければならないが、適当にやる。
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