2021年5月19日水曜日

肉体と宇宙

 我々の肉体の構成原子は、その重量比で、ほとんどが恒星末期の超新星爆発によって宇宙に散らばったものからできている。炭素にしても酸素にしてもそうである。恒星が最初は水素の核融合でヘリウムを作り、その水素をほとんど使い尽くする今度はヘリウムの核融合が起こる。そうして、炭素や酸素も作られ、大きい恒星は、結局、鉄を作った段階で核融合が止まり超新星爆発に向かうというシナリオだ。それが宇宙に散らばると星間ガスになり、それが集まって恒星を中心としたシステムが作られ、そのように作られた惑星の一つが地球なのである。

したがって我々は恒星の成れの果て、恒星の爆破片からできているということになる。また我々が死ねば原子的存在に帰り、他の物質を構成したりしながら、結局はまた膨張した太陽に飲み込まれ、その屑となっていくのだろう。

我々は宇宙に漂い続ける物質の、吹き溜まりのようなものである。ただ、その吹き溜まりは宇宙的物質の存在という意味だけではなく、精神的作用を持っていて、この宇宙に秩序を作る力を持った存在でもある。そして、その吹き溜まり自身を認識する意識を持っている存在でもある。そうしてせっせと秩序を作り上げていく意思は、自己意識であり物質的存在に対峙するものとなる。その意味で人間は根源的に二重化した存在なのである。

2021年5月18日火曜日

「正法眼蔵随聞記」を読む(3)

 「正法眼蔵随聞記」で、最も印象に残ったのは、第5−2節だ。山崎氏の訳で引用させていただく。

「仏道を学ぶものが第一の心がけとすべきは、まず、我見を離れることである。我見を離れるというのは、この身に執着してはいけないということである。」

仏道を学んでいるわけではないが、まず、定義の問題である。ただ、こうくると、3−21にある「道を得るとは、まさしく体で持って得るのだ」というこれもまた印象深い言葉との関係が気になるが、まず、そこはここでは論じないでおこう。

「このからだは、すべてこれ、ことごとく、父の白い体液と母の赤い体液との二つの体液の雫から生まれたものにすぎず、最後の一息で生を終われば、四大は山谷に離散して泥土に帰してしまうものなのだ」

リアリティを感じる。

「なんの故に、この身に執着するのか。この身に執着する理由はあろうはずがないのだ」

論理は飛躍している。永遠ではないから執着の価値はないのか。人は永遠なものに絶対の価値を置かない。桜の花びらのように、ほんのひとときの輝きと儚さに美しさを感じるという面もある。ただ、もし自分を永遠なものにする意思があるものにとっては、この限られた肉体の価値は低いものになるだろう。それは、悟りという形で永遠を手に入れようとする僧にとっては、ほぼ、自明であるのだろうが。

「ましてや、理法によって、これを見れば六根(目耳鼻舌身意の六器官)・六境(色声香味触法)、六識(目耳鼻舌身意の六つの識作用)合わせて十八回の諸要素の離合集散に過ぎぬ。どこにわが身があるとするのか。どこにもありはせぬ。経典による教家の教えと経典による禅門の教えと区別があるにしても、わが身の始まり、その終わり、全て空なるものであって執着することのできぬものだということを、よくよく考えて、これを仏道修行の心得とする点では、全く同じなのだ」

意識も含まれていなかったら、たしかに、それは空に近いものと言えるかもしれない。

「正法眼蔵随聞記」を読む(2)

 この随聞記は、道元さんの一貫した思想を伝えていて読みやすく興味深い。といっても、ほとんど講談社学術文庫の山崎氏の訳文で見ているのだが。

色々書きたいことはあるが、すこし気になったところの一つに、6の23の中の次のところがある。

古人は言っている「貧しい人の家の前を、車に乗って通ってはならぬ」と。すなわち、自分は車に乗る身分であっても、貧しい人の前を車で通らぬように慎重にせよ、というのだ。

権力や富を持っても驕るなということである。この節のテーマなのだ。

しかし、結局、奢らないとしようとすることも、我執ではないか。これは富める人、権力のあるものからだけ見ているが、貧しいものにとってはどうだろう。自分の貧しい家の前を、華やかな車で通る人がいたら、それを妬むというのか。もし権力のある人富める人が、それを誇らずに、貧相に通り過ぎて行ったら、妬まないというのか。これはおかしい。貧しい人が富める人を妬むということが我執である。道元さんは、僧は貧しくなければならないと繰り返し語っている。その貧しさから、豊かな人間を妬むことは決してそうとしてあってはならないと考えているはずである。

豊かで権力のある人が、意図して貧しい人の前を貧相に通り、そうでないところを華やかに通るならば、それは我執を遥かに超えて、醜悪である。そういう人間を私は軽蔑する。どんな人の前を通ろうが同じであれば良い。

私は誰の前でも、権力あるものの前でも、無力な人の前でも、富める人の前でも貧しい人の前でも、素直な自分で、ありたいと思う。その素直な自分を、他の人がどう酷評しようがそれは構わない。また、他者に対しても、私に対して、驕ることも媚びることもなく、素直なその人を見せてほしいと思う。

自分に囚われない、我執を離れるとは、自分らしく振る舞うことが、全く自分へのこだわりからではなくなるということだと思う。まだ、私はそうできているわけではないが。

「正法眼蔵随聞記」を読む(1)

 正法眼蔵随聞記を読んだ。読んだというよりざっと全体を見たという方が正しい。

そのなかに、「百尺の竿頭に、さらに一歩を進めてみよ」という古人の言葉が何度か(知る限り三度)引用されている。私流に理解すれば、自我を捨てて大海に飛び込むように身を跳ばせば、悟りへの道が開けてくるということなのだ。

それはそれで道元さんらしい言葉なのだが、悟りへの道ではなくても、つまり、われわれのような凡俗の人生の中でも、何かを掴むために、もし跳び込めば、過去に得たもの全てを失うかもしれないけれども、それをやるということは、一度や二度はあるものだ。

道元さんの意図と違うところは、あえてそうするのは、自我を貫くためであることがしばしばであることだ。

2021年5月17日月曜日

完成としての死

 人間は、本来、普遍的あるいは宇宙的、さらには世界的また社会的な存在であり、同時に自意識ある主体的、したがってまた魂的な存在である。喜びもまた苦難も、この本源的な二重性が契機となっている。そうなると、死とは、この二重性が相互に独立した存在となることであり、そういう意味では、一つの完成であると言える。死によって完成する人間存在は、また、生の在り方に規定されている。完成した死の形を、人間存在の潜在能力を汲み尽くしたものにするために、その試された生を精一杯、生き抜かなければならない。

2021年5月12日水曜日

肉体と魂

 この歳になると、肉体というのは確かに頼り甲斐のないものになっている。ことに、私のように心筋梗塞と脳梗塞でほぼ死という状況に直面した人間にとっては、ひとしおだ。

日々、今日明日に死ぬかもしれないという思いを、わずかなものだが感じて生きているわけである。

だからこそ、魂というものを確かにしたいと思う。魂とは何かとは、いつか書いた気がするかもしれないから繰り返さない。

自分の魂に常に語りかけ、また、会話する。日々その繰り返しだ。

「三つ子の魂百まで」という言葉がある。確かにそうだ。魂もまた成長する。この年まで成長し続けている実感がある。魂も病気になることはあるのだろうが、まあ、今日まで、肉体のような瀕死の状況には直面しなかった。

魂が生きている証であり、また生きた証となるだろう。

私の肉体は死ねばすぐに朽ち、灰と煙になるだろうが、魂は、寺の梵鐘の音色のように、この世界にわずかな余韻を残すものとなるだろう。それでいい、それで十分だ。

2021年5月5日水曜日

「45歳」

 四十代になった頃だと思う。昔の友達らに「もし45歳をすぎても大学教授していたら、僕は、自分の人生を捨てたと思ってくれ」と言っていた。実際に大学教授を辞めたのは、46歳だから少しずれたことになるが、辞めたことは間違いない。

それは、20歳頃から溜め込んできた自分というものが、その頃には死ぬだろう、という思いと説明することができるのかもしれない。それは一つの精算だったと思う。綺麗に決着をつけたかったのだ。

十代の頃は、自分が40歳をすぎて生きていくのを想像できなかった。それとどこか共鳴するところがある。

では、45歳をすぎて生きてきた自分はなんなのか。それはもう一人の自分と言ってもいいくらいの、違う思いを抱えた自分だったのだろう、と今になって思う。

46歳で大学教授を辞めるときに、そのことに関連して、当時の新庄学部長に学部長室に呼び出されて、話をしたときに、私は「二度と大学の教壇には立ちません」と言った。結果的にそれは嘘ということになってしまった。1年の空白ののちに、私は豊橋創造大学にほぼ専任の教員として務めることになって、さらにその後上智大学教授になった。その大学教授としての姿は、虚構ではなく、それは確かに私自身だったことは間違いない。学生に中途半端な気持ちで接しことはなく精一杯自分の命を削って享受を続けたことは間違いない。研究でも、自分の考える最高レベルのものに挑戦していた。でもそれは、45歳までの自分ではない。もう一人の自分だ。

当然、松竹芸能の芸人になった自分も、そのもう一人の自分なのだ。

このサイトで、自分が45歳までにした仕事を整理しながら、それは夜明けを待ちながら闇の中で暗く輝く宝石のような気がした。今の私からは貧しすぎる自分がそこにはいた。若い心に芽生えた問題意識に、自分にとって最高のものを投入しながら応えようとしていた自分がいた。その業績は眩しかった。それは当然二人目にはできなかった。できなかったのは能力ではなく、若い自分が囚われた問題意識に対する、ほとばしる思いがそこにはなかったからなのだ。

45歳で自分は一度死んだのだ、と思うと合理的だ。

業偏屈とは

 最近AIと対話していて、自分は業偏屈なんだと思った。 「業偏屈?なにそれ」と、大概の方は思うだろう。これは私が作った言葉だから、日本語にはない。疑問を持つのは当然だ。 もともとAIとの対話の出発点は、イーグルスの「Desperado」という歌の歌詞をどう解釈するかだった。Des...