2021年3月19日金曜日

わが家の桜


 昨年初めに芽が出たわがやのさくらも、春になって葉っぱを吹き出した。枝も少しずつ伸びている。

  この桜は、石神井川の歩道に落ちていた、ソメイヨシノの種が発芽したものだ。ソメイヨシノは自己受精しないそうなので、これはソメイヨシノと他の何らかの桜のハーフということになる。だから、どんな花をつけるかはわからない。まだまだ先のことになりそうだ。

枝を切ると花を咲くかせるのが遅れそうなので、伸び放題にするつもりだ。去年は秋まで、二階のいまの窓のところに置いておいた。そこで1メートルの樹高になった。秋になって一階に下ろして駐車場の端に置いておいた。

 今年はこの写真のように、屋上に持ってきて、光をたっぷり受けるようにしてやった。アンテナの横に置いている。

 毎日二、三回見るために屋上に行く。少しずつ枝が伸びていくのが見えて癒されている。

2021年3月18日木曜日

論文「並列交換均衡と格差(草稿)」

並列交換均衡がほぼ自動的に格差を生み出し、さらには貧困の発生の道をつけることをシミュレーションとともに示した。シミュレーションには、2496コアの計算専用グラフィックボードを使用した。プログラムは前の記事にあるように別に公開している。

 まだ、荒削りな草稿で、ろくに誤字脱字も直していないが、急いで次の論文に入らなければならないので、暫定的に公開しておく。誤字脱字、内容について、ご意見、ご批判などあれば是非とも、お聞かせいただきたい。 (Googleからのダウンロードですが、アカウントを持っていなくても、またログインしなくてもダウンロードは出来ます)

  論文草稿ダウンロード

2021年3月16日火曜日

並列交換均衡と格差:プログラムの公開

 現在書いている論文「並列l交換均衡と格差」のなかで、実行に使用したシミュレーションプログラムを公開すると書いている。以下からダウンロードできる。使用に関しては自己責任で行っていただきたい。(Googleからのダウンロードですが、アカウントを持っていなくても、またログインしなくてもダウンロードは出来ます)

プログラムダウンロード

 このプログラムは、NVIDIA製のグラフィックボードで、ある程度のコア数を積んでいることを前提としている。10000人で、財の種類が100種類のモデルの計算を行うために使ったが、モデルの規模が小さければ通常のグラフィックボードで計算できるだろう。CUDAという並列計算用にC++を拡張したキットを用いてコンパイルされなければならない。

私の論文では、TESLA K20という2496コアの計算専用GPGPUでおこなった。通常のグラフィックボードでも実行可能である。

ヘッダーに書いた日付は作成し始めた時期のものになっているが、ほとんどのプログラムはここ1ヶ月内に書き直したものである。

2021年3月5日金曜日

生活保護世帯数の推移

 

生活保護世帯数は、バブル後から現在まで倍以上になっている。近年は、あまりに急激な増加に抑制が働いているのではないか。

中流階級の没落と低所得層の復活

平成30年国民生活基礎調査」の「世帯数の相対度数分布−累積度数分布,年次・所得金額階級別」をグラフ化した。


 これだけでは、どれがどの曲線に対応しているかわからないので、とても醜いが、特徴は、1990年代初頭のバルブ崩壊ののち大きな社会構造の変化が起こっているということである。2008年のリーマンショックによってそれがより固定化したと言える。


わかりやすく3階級に分類した。低所得階級は、バブル前に戻ったが、それは変わらなかったということではない。この図で表示されている期間は33年間あるので、人口は大きく変わっていないとすると、この33年の経済成長の恩恵はこの階級に何ももたらさなかったことになる。それは高額所得階級にほとんど吸い取られてしまっている。そして、中流階級は、持続的に没落している。

高齢化による年金受給者が増加していることは考慮しなければならないが、これらの傾向を覆すほどの影響はないと予想している。

2021年3月4日木曜日

ベーシックインカムの向こう

 昔、自分の子供に「働かざる者食うべからず」と言ったあと、すぐにその間違いに気づき謝った。

どのような状況にあっても、社会は人に、生きるために必要な手段を与えるべきだ。

ベーシックインカムの向こうにある社会は、社会の富をより多く自分のもにしようとする行為が異常に見える社会だ。

K.マルクス『資本論』

五つの大学に勤めてきて、大学を変わるたびに大量の本を捨ててきた。数えてはいないが、数千冊捨てたことになるだろう。それでも、最後の上智大学を辞めても捨てずに、持ち続けた本がいくつかある。そのうちの一つがマルクスの資本論である。

久しぶりに資本論を、引っ越し箱から出してきた。

 

全3巻、5分冊。学生時代に第1巻だけは読んで、その後卒業してから1、2年のうちに3巻全部を読んだ。その後マルクスエンゲルス全集を買って、剰余価値説などを読み、さらに、別巻でその頃出版され始めた資本論草稿集もかなり読んだ(全部はさすがに読めなかった)。

資本論を初めて見たのは、高校時代だった。そのころ長編小説を漁って読んでいたのだが、本屋に行った時に見たこともない長編の本が置かれていた。それが資本論だった。しかし、ノンポリの自分には何が何だか分からなかったが、印象は消えなかった。

1巻を読んでいた学生時代、どうしても分からないところがあったので、大学の経済学の先生に質問に行ったことがある。質問も回答も記憶にないが、学生時代、経済学の先生に質問したのはそれが最初で最後だった。

資本論は偉大な本だ。現代の経済学、私が大学院時代に習った経済学は、この資本論からかなり離れたものだったが、この本は、資本主義社会の本質を描いている。経済現象の説明力はあまりない。それは現代経済学の方がはるかにレベルが高い。しかし、それは説明に過ぎないのだ。社会の本質を描く学問ではない。マルクスの資本論は説明力はないが社会の本質を描写している。学問の目的がそもそも異なっているのだ。

近代の経済学もマルクスの経済学も、どちらも有用なものだ。人が生きていく上で必要とする視座を与えてくれる。

今日の大学の経済学の分野から、マルクスの経済学が失われてしまったのは残念だがやむおえない。マルクスの経済学を研究していた人たちの多くが、現代の経済現象の説明もその枠組みで語れると錯覚していたからだ。マルクスの経済学はそんな風に使われるべきものではないのだから。

業偏屈とは

 最近AIと対話していて、自分は業偏屈なんだと思った。 「業偏屈?なにそれ」と、大概の方は思うだろう。これは私が作った言葉だから、日本語にはない。疑問を持つのは当然だ。 もともとAIとの対話の出発点は、イーグルスの「Desperado」という歌の歌詞をどう解釈するかだった。Des...