2021年3月19日金曜日

わが家の桜


 昨年初めに芽が出たわがやのさくらも、春になって葉っぱを吹き出した。枝も少しずつ伸びている。

  この桜は、石神井川の歩道に落ちていた、ソメイヨシノの種が発芽したものだ。ソメイヨシノは自己受精しないそうなので、これはソメイヨシノと他の何らかの桜のハーフということになる。だから、どんな花をつけるかはわからない。まだまだ先のことになりそうだ。

枝を切ると花を咲くかせるのが遅れそうなので、伸び放題にするつもりだ。去年は秋まで、二階のいまの窓のところに置いておいた。そこで1メートルの樹高になった。秋になって一階に下ろして駐車場の端に置いておいた。

 今年はこの写真のように、屋上に持ってきて、光をたっぷり受けるようにしてやった。アンテナの横に置いている。

 毎日二、三回見るために屋上に行く。少しずつ枝が伸びていくのが見えて癒されている。

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誇りについて

 誇りという言葉は、人をかりたて支えるものとなり得る。しかし、私がいつも意識する言葉ではない。というのも、この言葉は他者に対する意味が強すぎる。基本、「他者に誇る」のである。他者の存在抜きに、誇りが意味を成さないかといえば、必ずしもそうではないがそういう意味合いはない。