今の日本で、和算を通学的ツールとして学ぼうという者はほとんどいないだろう。
学校で、関孝和という和算家の名前は聞いたことは有るだろうが、無駄なことに人生を捧げた人間としか思えないのではないだろうか。私がそうだった。
しかし、和算のことを知れば知るほどそのすごさを感じる。高次方程式も、多元方程式も、さらには行列、そして図形の解析、高校レベルの域を超えている。もちろん、そこには微分はない。それは、和算かの能力の低さではなく、それを必要とする科学的材料がかけていたためだと私は思っている。なぜ科学的材料がなかったのか。鎖国をしていたからで有る。なぜ数学的形式が、西洋との交流もなく、独自の形式のまま発展していったのか、それもまた鎖国のためで有る。
他国の進歩との交流の中で鍛えられるべき機会を、鎖国のために失していたので有る。
日本の文化や民族性を教育の中でしっかり育むためには、和算と洋算の関係を学校なりでしっかり伝えなければならないはずだが、学習指導要領にそんな項目は無いだろう。
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