2021年2月2日火曜日

森鴎外の「最後の一句」

 もちろん、過去に読んだことはある。

最後の一句はなぜそこまで、憎悪を帯びた驚愕と言えるほどまで、佐佐や同席の者たちの心に響いたのか。解釈はどのようにもできよう。 

ただ、事務仕事をこなすように司法を運営してきた佐佐に、真に司法的結論が正しいかどうかを考え切る誠実さがなかった。それを指摘されたことによる、憎悪と驚愕だったと言えるのかもしれない。また、他にも解釈は可能だ。

太郎兵衞の罪が減じられたのは、佐佐の驚愕からではないのだろう。たまたま、こうした訴願が話題になって、大嘗会の御赦免対象にふさわしいことが上に伝わったからだと思われる。

 太郎兵衞の罪が真に試合に値するのかどうか。書かれているものを見る限りは、現代的感覚では、それは全く値しない。しかし、この物語の中には、そのように不当な罰であることを誰も指摘していない。ある意味、妻や母ですらそれを受け入れている。いちは、罰が不当であることは訴えていない。ただ、父を助けたいから、自らの命を差し出すということだけである。

たとえこともの一言であっても、社会を動かす力を持っているというのが、この物語の主題であるかもしれないが、 罪と罰との対応への不条理など、何か、世間の中にある受け入れがたいものとの関係が描かれていれば良いのだが。しかし、元になった随筆の中には、ないのだろう。一度読んでみたい。

追記:2021年2月8日

(上智大学図書館で、該当箇所を読んだ)

オリジナルの太田蜀山人の随筆「一話一言」が意到随筆を読んだ。ストーリーはおおむね一致しているものの、役人の個別名は出てこず、また、そこに「最後の一句」はなかった。オリジナルから、森鴎外に至るまでのどこかで入ってきたのか、それとも、鴎外が初めて入れ込んだのか。また、父親が減刑されるまでの過程は、全く、ただ、淡白に描かれていただけだった。

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