鷲田豊明のブログ 2021年1月〜
最近思うことは、人はときに生活が苦しいとか、いろいろな困難に直面したりすることはあるものだが、少なくともそれは、その本人の責任ではないということ。本人が、その原因を何か自覚することは大切だが、その責任はといったらそれは社会の責任だ。
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誇りという言葉は、人をかりたて支えるものとなり得る。しかし、私がいつも意識する言葉ではない。というのも、この言葉は他者に対する意味が強すぎる。基本、「他者に誇る」のである。他者の存在抜きに、誇りが意味を成さないかといえば、必ずしもそうではないがそういう意味合いはない。
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