2021年2月21日日曜日

社会と個人の動的関係

 40年ほどの研究者生活を振り返って、やるべき研究はやり尽くしたと思っていた。が、本多利明のことをいろいろ調べているうちに、なんだか、一番大事なことを忘れていたと思うようになった。

もともと、工学部の私が、かなり畑の違う経済学をやろうと思った動機は、個々人が命名勝手に動くこの社会が、なぜ全体として秩序を持っているのかを探りたかったのである。マルクスの資本論から、あるいは哲学に関わる様々な論文を読む中で、社会というのが独自の発展法則を持つということに、漠然とした共感を持っていた。ただ、個人は自由でなければならない。その社会がどうして自立した発展法則を持つのか、その科学的メカニズムを知りたかった。

マルクスは、上部構造は下部構造に規定されると唯物史観を説いた。下部構造とは、今で言うインフラではない。政治や思想や文化に相対する、経済システム、すなわち我々が日々の生活の中で動物的文化的要求を満たす基本的な在野サービスを提供するシステムとしての経済システムである。だから、経済学を学ぶしかないと思った。そして、28歳で、神戸大学大学院に入学した。 

私の研究の軸は一貫してそこにあった。その軸の周りの様々な、あるいみ、かなり分野の違いそうなことも含めて研究してきた。また、その多くの部分は著書や論文で発表してきた。最もその軸に近いものは「環境と社会経済システム」という本だ。そこでは、個人のネットワーク的なものと、それらから相対的に自立した存在としてのシステムとしての合目的性がどのような関係にあるのかを論じた。しかし、ある意味これは中間報告であったと言わざるを得ない。私の答えのかなりの部分を書いてはいたが、やはり最終的結論ではなかった。

まとまった結論的答えを書くべきだと思うようになったのである。

その取っ掛かりとして、2012年頃に研究していた、集団行動のシミュレーションを再現したいと思った。

大体、そのころ、いろいろな研究をしていたのだが、それらはほとんど研究科の紀要に折々発表してきた。それらのどれも大事な研究だと思っていたが、いちいち、査読付きの雑誌に投稿して面倒な手続きをするのを避けるためだ。十分紀要でよかった。ただ、その集団行動のシミュレーションは、行動経済学会の場で、発表したことはあったが、研究科紀要も含めて、それ以外の形では発表しなかった。たぶん、もっと掘り下げる必要があると思ったからだと思う。

この研究は、個々人の最適化行動の結果が集団のダイナミックな秩序ある動きを作り出すというのを、ごく単純な想定で示したものだ。

試しに当時のプログラムを、動かしてみた。Macosxが乗っているのも12スレッドのCPUだが、Linux Ubuntuのマシンが  i9-9920X CPU @ 3.50GHz 12コアの24スレッドの超高速なので、このスレッドをフルに動かす形で、5万人の想定で動かしてみた。


 一つ一つの小さな粒のようだが短い線が個人を表す。赤、青、黄色、緑、の四色があり。個人の個性は活動的だが視野が狭いから、動きは遅いが視野は広いというタイプのバリエーションがある。それぞれは、他者にぶつからない範囲で方向を調整しながら、できるだけたくさん動きたいという目的意識を持っている。そうして、1597回、繰り返した状況のものだが、全てランダムに設定しているにもかかわらず、左上から、右下への大きな、マクロ的、したがって全体的な動きが現れている。(個人は、この円の外側から出そうになると、同じ方向に反射するようになっている)初期状態は、個人の配置、向きが、全てランダムに与えられている。

つまり、個人のミクロ的な構造が ランダムな状況から、全体的な目的意識性を思わせる構造を作り出しているのだ。更に興味深いのは、その動きの左右の円の壁に、へばりついて動きが取れなくなっている人々を生み出すことだ。

シミュレーションをキャプチャした動画をいかにアップしておく。ファイルサイズが大きくなる関係で、画面の大きさを半分にして、最初の動き、構造が形成されたときの動き、そして、その構造が崩壊するときの3つに分けてある。 

(1)初期状態から、構造ができるまで。構造とは、個々人は自分の可能な方向に最大に動こうとしているだけにもかかわらず、左上から右下に向けた人々の動きができるということである。いまのところ、初期状態からどの方向の構造ができるかは予測できない。一旦初期状態を与えると、あとは確率的な動きはなくなる。つまり初期状態はランダムに個人の位置や方向が与えられるのだが、同じ初期状態は必ず同じ結果を生み出すということである。

(2)構造がある程度持続している状態。ただ、そのなかでも、壁にへばりつかされている人々が現れている。社会の大きな動きからは取り残される人々である。
(3)構造が崩壊していく。構造の崩壊は、殆どの人が壁にへばりつかされてしまっているために崩壊する。一部の、自由な人だけが大きく動くことができる。

全体については、Youtubeにシミュレーションの動画をおいておいた。いずれ、研究としてまとめて発表したい。

https://youtu.be/4DbP3BJKCeU

 

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