「池の尾の僧俗の態度に、この傍観者の利己主義をそれとなく感づいたからに他ならない」
傍観者の利己主義とは、他人の不幸に同情する気持ちと、その不幸が無くなれば逆にまたその不幸の中に陥れたいという感情が湧くことである。
ストーリーは、芋粥と似たところがある。渇望していたことが成就することによる悲哀である。
人間の本質に関わることだ。私がゼロを楽しもうとすること、あえてゼロになろうとすることと似ている。
誇りという言葉は、人をかりたて支えるものとなり得る。しかし、私がいつも意識する言葉ではない。というのも、この言葉は他者に対する意味が強すぎる。基本、「他者に誇る」のである。他者の存在抜きに、誇りが意味を成さないかといえば、必ずしもそうではないがそういう意味合いはない。
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