去年の四月から、ほとんど仕事をしない年金生活者になった。住むところにも困らない。食べることも、さほど贅沢をしなければ、夫婦共々食べていける。この境遇は、三流貴族と言えるのでは無いかと思う。社会の中で派手な存在では無い。権力も持たない。ただ、生活はなんとか約束されている。そういう意味での、貴族的特権を持っている。もちろん、年金も特権ではなく、ただ過去に納めてきた年金支払いの戻しではあるのだが。
平安から江戸時代まで、こうした下級貴族はいたはずだ。慎ましく生きてきた貴族がいたのである。
誇りという言葉は、人をかりたて支えるものとなり得る。しかし、私がいつも意識する言葉ではない。というのも、この言葉は他者に対する意味が強すぎる。基本、「他者に誇る」のである。他者の存在抜きに、誇りが意味を成さないかといえば、必ずしもそうではないがそういう意味合いはない。
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