2021年1月30日土曜日

芥川竜之介の「枯野抄」

 松尾芭蕉の死に際に直面する弟子たちの、単なる悲しみではなく、多様な方向に揺れ動く感情を微妙に描いている。

トルストイの「戦争と平和」における、べズーホフ伯爵の臨終に際して、その周囲の人々の複雑な反応を描いた一節に匹敵する。

ただ、自らの師匠の死に際して、ある意味、冷静すぎる。人は、大切な人の死を前に、感情のダイアルをしっかりと目的の周波数に合わすことは、なかなかできないものなのである。冷静な感情は、もっと後に生まれてくるものだと思う。よほど事前の計算や熟考がない限り。

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誇りについて

 誇りという言葉は、人をかりたて支えるものとなり得る。しかし、私がいつも意識する言葉ではない。というのも、この言葉は他者に対する意味が強すぎる。基本、「他者に誇る」のである。他者の存在抜きに、誇りが意味を成さないかといえば、必ずしもそうではないがそういう意味合いはない。