2021年1月21日木曜日

荒川にて


 潰れかけた東京の心から逃れるように、妻と車に乗って浮間公園に出かける。本来自粛なのかもしれないが、このまま家にいたら潰されてしまうように思った。冬の空、快晴の空、紺碧の空。

無線機FT-991Aとアンテナを設定する。短波帯はうまく受信しない。430MHzバンドと2mバンドはいつもの通り機能した。

妻は、河川敷を散歩していた。

階段の上で、若い女がスマホをいじりながら座っていた。

「川はどこに流れているのかしら」と妻が言った。確かに川筋が見えなかった。おそらく、運ばれた土がおもちゃの山並みのように川中に走っている。その隙間を流れているのだろう。

誇りについて

 誇りという言葉は、人をかりたて支えるものとなり得る。しかし、私がいつも意識する言葉ではない。というのも、この言葉は他者に対する意味が強すぎる。基本、「他者に誇る」のである。他者の存在抜きに、誇りが意味を成さないかといえば、必ずしもそうではないがそういう意味合いはない。