2026年1月19日月曜日

2025年の収支

 妻に、家計簿をもとに、去年一年の家計の収支を計算してもらった。年金生活を始めて五年になる。だいぶ慣れてきた。

千葉にセカンドハウスはあるが、そちらは単なる別荘ではなく、プリズムというアロハシャツと藍染の店になっているので、別会計になっている。そちらは、維持費をまかなうのが主な目的で、賃金払いがない。だから、今のところ、赤字にはなっていない。

家計簿からくる収支はほぼトントン。少し赤字という感じだ。赤字は許容範囲だった。もっと赤字になっているかと思ったが、意外とバランスしている。わたしは経常的な収支を管理していない。妻が管理しているのだが、それも、月々、日々、計算しているかのように管理しているわけではない。しかし、彼女がいくら入ってきているから、これくらい大丈夫だという判断でやっている。それは、感覚的なものだろう。その感覚が大きくずれていないということの証だと思った。

年金生活というのは、節約が基本だ。いちばんの節約法は何かと考えると、それは健康だ。老いるとは病気を抱え込むことだと言えなくもない。しかし、抱え込む病気は少ない方がいい。老いた体に、細かい目配りをすることが大事なのはもちろんだ。食事と体を動かすことは大事だ。それはやっているつもりだ。それを上回り、わたしが大事だと思っているのはストレスを抱え込まないこと。まず、家族を大事にして、その上で、面倒な他者との関わりを極力減らすこと、自分と向き合い、自分を楽しませることを心がけている。

置いたら篭らずに、積極的に他者と関わることを進める人がいるが、それは万人に当てはまるものではない。少なくとも、わたしの父親は、徹底的に他者との交際を避けて96まで生きてきた。ある意味尊敬している。わたしもそれがいいと思った。人間にいちばんストレスをもたらすものの一つが他者だと思う。友達との関わり方も、消極的だ。学生時代の同窓会が開かれるということだが、丁重にお断りした。

変な話だが、他者より、自分と関わっていた方が面白い。自分がやりたいこと、やれること、面白がること、それにしっかり関わっていこうと思う。最近はAIがあって、いろいろ勉強するときに完璧なアドバイザーになってくれる。費用もかからない。AIと話す限り、ストレスにはならない。

ここらで辞めておこう。話の筋から外れてきた。

一矢報いる

「一矢報いる」という言葉が好きだ。

大学教員になった頃の話だ。経済学に失望した時があった。結局その学問は、社会を豊かにすることを目指しているだけのことではないか、と思ったのだ。経営学は企業という単位で、企業の内側から社会を見るが、経済学の視座は初めから社会に置かれている。社会を豊かにするという学問的な目的が間違っているわけではない。しかし、ここまで豊かになった社会をさらにまた豊かにするための努力というのは、何も、自分がやらなくてはならないものではないと思ったのだ。経済学を志した時の、問題意識のようなものには、一応の決着をつけていた。そういう意味でも未練はなかった。大学教員を辞めようと思った。辞めることには妻の了解もとった。三十歳前半の頃だった。が、経済学にグッドバイする前に、一矢報いたと思った。その時浮かんだテーマが環境だった。経済学にとって最大の弱点、経済学のアキレス腱が環境だと思った。環境と経済学の問題に取り組むと、意外と手こずり、やるべきこと、面白いことがたくさんあって、そこに決着をつけるのに、十年以上の月日が必要だった。結局一旦大学を辞めたのは、46歳になった頃だ。

そういうこともあり、一矢報いるの精神は大事だと思うようになった。

 人生は「一矢報いる」程度で十分だと思う。その意味は、一般に言われるような、大勢は敗北だけれども何か一つ小さなことでもでも相手に打撃を与えられればそれでいいというものではない。そもそも人生に敵はいない。強いて言えば、敵は自分だ。一矢報いるとは、こと人生に限れば、その一矢で、全体の形成を変えるくらいのものになりうる。たとえ社会的には、どこにもそんな意味はなかったとして、自分にとっての一矢が大事なのだと思う。

2026年1月17日土曜日

70歳という節目から71歳へ

 70歳になってから八ヶ月が過ぎた。(以下は、2025年の8月に書いて放置したもの)

おそらく、本格的な老いが始まった年だ。どう生きていこうとしているのか。一つは、東京で暮らさず、千葉の太平洋側にある古びたセカンドハウスで暮らすという選択をしている。もう一つは、漫然と日々を過ごさず、順序づけられた目的を持った生活をするという選択。もう一つは、不要な人間関係をバッサリと切って、人間関係からくるストレスを遠ざけ、一番大切な人間関係である妻との関係は最も大切にするという選択。そして、健康に留意し、食事、運動などの実行をするという選択。

さらに月日は過ぎて、71歳まで二週間足らずになってしまった。
去年は、田んぼを諦めた。理由は、このまま腰を使って稲刈り、田植えとかやっていけば、取り返しのつかない肉体的劣化が進行してしまうという危機感からだ。
 11月のあたりからは、寒さに耐えきれず、東京にほぼ戻ってきてしまった。
 東京に戻って、体重が数キロ増えてしまった。これを戻すのに真剣になっている。次回の健診日までに80キロ台前半まで戻さなければ、一日100g程度落としたいと思う。あまり急激に落とすと、肉体的に負担がかかる。それは避ける。


量子力学を学ぶ意味

 寒くて、千葉に入れないので、東京に引き上げてきている。

東京では、作業は全くできないので、机の前でパソコンに向かい、一度は外に散歩に出るという毎日だ。

11月ごろから東京に戻る日が多くなり、年末まではpybulletという物理的な関係をシミュレートできるpython のモジュールで、千葉で作っているドローンのデジタルツインを作って仮想的に離陸させたり飛行させたりしていた。それにニューラルネットを組み込んだシステムもなんとか起動させることができた。やればキリがないが、年末までに終わらせた。

今までpythonを避けていたが、AIに散々コードを書かせ、自分で動かしていたから、否応なくpython の理解が深まった。Numpyという演算モジュール、pytorchというニューラルネットワークモジュール、そして先のpybulletというモジュールなど、各種モジュールにも理解が深まった。さらに、ドローンの、剛体としての運動にも理解が進んで、暖かくなって千葉に行けるようになった時に、またドローンに取り組もうという気持ちが湧いてきた。

年が明けても、寒さは変わらないので引き続き家にいる。そこで、昔から気になっていた量子力学のシュレディンガー方程式に挑戦してみる気になった。AIに簡単なシュレディンガー方程式を説いてみてくれと頼むと、無限イドポテンシャルの中の粒子の波動方程式を解いてくれた。それがある程度理解できたので、量子力学そのものを勉強してみようという気になった。

粒子性と波動性や、エンタングルメンといった深いかいな現象も、ある程度、その不可思議さを理解できたようだ。中身は、まだまだ勉強したいと思っている。

特に、フォンノイマンの「量子力学の数学的基礎」という古本を買ったので、これにじっくり取り組みたいと思っている。フォンノイマンの定式化した経済の線形モデルには、随分お世話になった。何本も論文を書かせてもらった。そのフォンノイマンが、量子力学の数学的議論をしているのだから、とても惹かれる。

今更、量子力学をなぜ学ぶのか。そこに、新たにこれで仕事をしようなどという特別な意味はない。ただ知りたいのだ。これはある意味、スマホでゲームをやることと似ている。あるいは、テレビで何かドキュメンタリーを見るのと似ている。そのゲームをやったから、あるいはそのドキュメンタリーを見たから、何か次に繋げようということではない。ただ面白いからやっている、見ているというだけなのだ。意味を考えても仕方がない。

つまり、量子力学を学ぶことは、ゲームをやったりテレビを見たりすることと同じくらい面白いのだ。面白いから学ぶ、意味などどうでもいい。

2025年の収支

 妻に、家計簿をもとに、去年一年の家計の収支を計算してもらった。年金生活を始めて五年になる。だいぶ慣れてきた。 千葉にセカンドハウスはあるが、そちらは単なる別荘ではなく、プリズムというアロハシャツと藍染の店になっているので、別会計になっている。そちらは、維持費をまかなうのが主な目...