2021年9月16日木曜日

後20年生きるとしたら

 確かに、20年も生きられない可能性は十分に高い。しかし、時間がどれほど残されているか、それを想定しながら人生を考えるのは必要だ。そして、もし、2。3年の残された時間を想定すれば、小さなターゲットに日々を使うことになり、何かしらそこには物足りなさが生まれざるを得ない。だから、その日々がある可能性が低くても20年くらいの想定は必要だと思えるのだ。

もちろん、その長さでは、努力半ばで終わる可能性も高い。しかしそれはそれで良いような気がする。

誇りについて

 誇りという言葉は、人をかりたて支えるものとなり得る。しかし、私がいつも意識する言葉ではない。というのも、この言葉は他者に対する意味が強すぎる。基本、「他者に誇る」のである。他者の存在抜きに、誇りが意味を成さないかといえば、必ずしもそうではないがそういう意味合いはない。