ここに、先のブログで最後に書いた、高瀬舟には罪の相対化と幸福の相対化という二つのテーマあるというのが、別の言葉で著者によって書かれている。
「この話は『翁草』に出ている。・・・私はこれを読んで、その中に二つの大きい問題が含まれていると思った。一つは財産というものの観念である。銭を持ったことのない人の銭を持った喜びは、銭の多少は関せない。・・・・いまひとつは、死にかかっていて死なれずに苦しんでいる人を、死なせてやるということである」
誇りという言葉は、人をかりたて支えるものとなり得る。しかし、私がいつも意識する言葉ではない。というのも、この言葉は他者に対する意味が強すぎる。基本、「他者に誇る」のである。他者の存在抜きに、誇りが意味を成さないかといえば、必ずしもそうではないがそういう意味合いはない。
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